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ガブリエル・ホセ・ガルシア=マルケスは今年4月17日に亡くなった。
http://www.all-nationz.com/archives/1009130196.html
今回ご紹介させていただく「悦楽のマリア」などは、カタルーニャ独立運動を象徴的に描いている。かつ、「愛」を、個人的な領域とともに「普遍的領域」(世界との連関)へと昇華させている。
この「悦楽のマリア」は不思議な余韻を際立たせる作品である。
マリアは76歳の元娼婦で、自分の死を予告する夢におびえつつも、自分の 墓を買おうと、セールスマンを自宅に招くシーンから始まる。彼女は時間通りに来訪した若いセールスマンに「少々古めかしい感じがするほど純粋な、完璧なカ タルニア語を話したが、そこには今なお、忘れかけたポルトガル語の音楽的な響きが残っていた」つまり生粋のカタルーニャ人としてまず描かれる。カタルー ニャ地方というのはまた複雑な歴史をもち、フランシスコ・フランコの独裁政権により、地方語は激しい弾圧を受ける近代史を持つ。
マリアはその弾圧された側の女として読まねばならない。
次にマリアの飼い犬、小型犬ノイが登場する。ノイはいたずらをして彼女に目で制止され、うなだれて涙を流す。その時のマリアの言葉「普通の飼い主は一生懸 命彼らが苦しむような習慣ばかりしつけるのよ。お皿から食べさせたり・・・なのに、彼らが好きな、自然なことは教えないの、笑ったり、泣いたり」
つまりノイはペット犬の宿命を表しつつ、カタルーニャ人をも象徴する。
上手いねェ、この隠喩も。
彼女はドゥルーティというアナーキスト指導者の葬られた「名前のない」墓、「もっとも悲しく、もっとも荒れた葬儀だった」男の墓の近くに眠りたいという女である。
彼女は遺産の分配においても「自分の心の一番近い人たちに・・・決めて、財産の詳細なリストを・・・それぞれのものの正確な名前を中世カタルニア語で口述」という公証人を唖然とさせる女である。
彼女はノイに自分の墓を識別させ、ついには家からひとりで墓まで辿れるように教えた。
ここは前半の感動的な場面である。
彼女には長い年月パトロンとしてカルドーナ伯爵がいた。かれは夏にこの地に来るが「彼女が五十歳にして驚くべき若さを保っていたころよりもさらに魅力的になっているのを見出した」
あり得ることだろうか。
マリアの生い立ち・・・
十四歳で母に売られる。ずっと無残にもてあそばれ、パラレロ大通りの「光の泥沼」、売春宿に暮らし続ける。最後に伯爵に拾われる。
そのマリアが伯爵の不用意な本音ーフランコの弾圧支持ーに激しく
やり返す。
「ということは、有無を言わさず銃殺にするということだな」と彼は言った。「統領は曲がったところのないおとこだから」
「ひとりでも銃殺されたら、あたしはあんたのスープに毒を入れてやるから」
伯爵は仰天した。
「一体、どうして」
「あたしも曲がったところのない売春婦だからだよ」
これで二人の関係は終わる。
彼女はノイを近所の娘に、自分の死後与える約束をする。
「たった一つの条件は、毎週日曜日には何も心配せずにノイを放して
やること。どうすればいいのかノイはわかているから」
少 女は大喜びだった。マリアも歓喜とともに帰宅したが、彼女の「人生は、凍りつく十一月のある午後、彼女にかわって勝手に決断したのだ。習慣となっていた墓 参りの帰途、雨に打たれ、ノイを抱いて途方にくれるマリアを一台の車が援け、自宅まで彼女を送ってくれる。若い労働者風の運転手。
自宅前について、かれは「上がっていいですか?」と聞く。
「のせてくれたことには感謝してるわ」と彼女は言った。
「でも、私をからかうことは許しません」
「からかうようなつもりはまったくありません」と彼は断固とした真剣さ
をこめてカスティーリャ語で言った。
「あなたのような人に対して、そんなつもりはなおさらありません」
マリアは「長い人生を通じてこの時ほど判断を下すことに恐れを感じたことはなかった」
「上がってもいいですか?」
彼女は車のドアを閉めずに遠ざかり、確実に理解されるようカタルー
ニャ語で言った。
「好きなようになさい」
マリアは「死の瞬間のみ可能だと信じてきたような恐怖の感覚に息をつまらせながら、震える膝で階段を上り始めた・・・ノイが吠えようとした時、「お黙り」と彼女は今にも死にそうなささやき声で命じた・・・(予告の夢の)解釈が誤っていたことに気づいた。・・・・・・・
そのときになって、、かくも長く、何年も何年も待ち続けて、それがたとえ、この一瞬を生きるためだけだったにせよ、暗闇の中であれほど苦しんだ甲斐があったことを知った。 (要約終わり)
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