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「貴国にもなんと美味い酒があるのか、感服いたす」
競様もお喜びです。
「酒ができれば春風を生じ、美酒は樽まで芳しい、とわが国では詠われております。百薬の長どころではありません。かの大詩人・・・」
そう袁忠さんがお話しになると
「おお、そうじゃ、杜甫殿じゃな、その大詩人とは。
李白一斗詩百篇 李白一斗詩百篇
長安市上酒家眠 長安市上酒家に眠る
天子呼来不上船 天子呼び来きたれど船に上がらず
自称臣是酒中仙 自ら称す臣は是れ酒中の仙と
これは杜甫殿の「飲中八仙歌」という詩にある。あの不出世の天才詩人李白を描いている」
そう兼綱様が話を受けます。
「一斗の酒を飲む間に詩百篇を為すと謳われている。また天子様の呼び出しにも応じずに自分は酒仙だとのたまう。いやはや桁外れ、豪放磊落の天才だな」
「おお!杜甫のその詩をご存じでございますか!あな嬉しや!」
袁忠さんは大喜びです。
「袁忠さん、それはこちらも同じ気持ちですよ。私なども幼いころから漢詩も学んでおります。漢詩はまことに素晴らしい。」
仲光殿、もうすっかりほろ酔い加減で口を滑らしています。いつの間にか、葡萄酒も茘枝酒も大きな・・・一升は軽く入りそうな白い甕が座敷の入り口にいくつも並べられて、娘たちがせっせと徳利に移しては皆様にお注ぎしております。
「ほう、仲光殿、さすれば貴公のお薦めの詩は何ぞや!ぜひご披露なされや!」
同じ年頃の清親殿が笑いながらおっしゃると、みなさま手を叩きやんやの催促です。袁忠さんも満面の笑みで拍手なさいます。
「では、お応えしましょうぞ!この仲光、恥ずかしながら人様の前で謳うのは本邦初公開にござります」
「唐は王翰殿の涼州詞をば!」
葡萄美酒夜光杯 葡萄の美酒、夜光の杯
欲飲琵琶馬上催 飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す
酔臥沙場君莫笑 酔うて沙場に臥す君笑ふことなかれ
古来征戦幾人回 古来征戦幾人か回(かえ)る
若やいだ張りのあるお声が部屋にもお庭にも響きます。
「これはこれは・・・」
「この詩を聴くと泣けてきます」
お酒のすすんだ袁忠さんも感無量の面持ちでいらっしゃいます。
「うむ、仲光、良い詩を出してきたの。葡萄の美酒夜光の杯……葡萄の美酒、これはいま袁忠に飲ませてもらって、なるほど美酒とよく分かった。夜光の杯、これもなるほど。美しい取り合わせじゃ。しかし一転、彼の地、広大無辺の砂漠…夜空を見上げれば銀漢が天一杯に広がっておろうのう。故郷をはるか遠く戦に駆り出された人の酔わずにはおれぬ凄寥、琵琶の音が砂漠に吸い込まれて消えていくさまが目に浮かぶ。いや、戦にでて一体幾人が回るのかという無情慟哭か」
競様が仰います。
「そうでござるのう、競殿、彼の地でも戦は王朝が変わる度に起きておる。その度に武人のみならず庶民も駆り出されておる。我らは生れながらの武人、主家を守り己の誇りを守ることが勤めじゃ。しかし、民に戦を求める事は何とも辛い話じゃ、かつて我が国でも農民らが防人と呼ばれ徴兵されながら多くの慟哭の歌を遺しておる。のう、袁忠」
兼綱様が仰います。
「そうでございましたか。さきもり…そのような方々が歌を遺しておられるのですか。」
・写真 京都 大原野神社鯉沢の池