pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

雷鳴



午前中の青空はじつに爽やかだったが、いま西の空が暗くなったと見るや10分後に横殴りの雷雨となった。そういえば昨夜の居眠りの中で聞いた土砂降りの音も凄かった。これらはもちろん梅雨の雨ではない。

我が家の猫のミーちゃんもモン太郎も雷鳴には驚かなくなった。以前飼っていた犬のポチ子などは雷鳴で飛び上がって居間の窓をがりがり引っ掻き助けを求めたものだった。

そのミーちゃんは一昨日、夕方帰宅して寝姿を見るとお尻の右側に穴が開いて中が1センチほどの深さまで丸見えだった。仰天して閉院間際であったが病院に連れて行った。炎症による「匂い袋」の破裂だったらしい。そんな病気があるとはまったく知らなかった。まあ二匹とも歳である。16歳以上。以上というのは二匹とも保護猫だからである。結局ミーちゃんは抗生剤を当分続けることとなった。手術は大変だし本人にも大きなストレスとなる。傷口は自然治癒を待つ。そのような診断だった。幸い彼女は食欲も落ちないで元気で居る。

私自身は先週来、やや風邪気味であったり歯根の炎症だったりとやや不運であったが、ミーちゃん騒動でそんな不運は吹っ飛んだのだった。

一方のモン太郎は近ごろとみに甘えまくっている。就寝時に腕枕で寝るのは常態化したが、今日も玄関先でニャアニャァ呼ぶ。玄関前の石畳に寝転んで毛梳きの催促なのである。ゴロンゴロンと姿勢を変えて毛梳きを指示する。まあ2月だったか、こいつも突如食べなくなり寝たきりになって、慌てて受診、点滴と注射で3日連続治療して頂いたら元気になった。

まあ、二匹ともお迎えの近い歳である。ハチは突然逝ってしまったし。こちらも同様でいつあの世に逝ってもおかしくない。先立って逝ってしまった同僚や友人、生徒たちをみればこれでも71歳で長生きなのである。そうそう、『竹取幻想』は一昨日に推敲やら完了した。そして気が抜けた。完全に脱力した。死んでたらそれまでよだったが。10年間、両親や義母の見送り、まつわる騒動のなか、創作は試行錯誤やら中断やら・・・その間もひっきりなしにバイト的な仕事をやったりとの中でようやく終わった。終わってみると、これはやはり宿命だったのかもしれないとも思えた。高校時代、陸上と文芸部に所属し気ままな部活をやっていたが、文芸部では自称詩なるものを書いていた。大学では国文科の末席にもならぬ出鱈目ぶりだったが堀辰雄に引っかかった。そして高校教員・・・
新任の始めから教科書使用は極力避けていた。教科書やら指導書の使用は授業の死を意味すると理解して、自作の教材などを作ってやっていたが、次第に「多忙」に追われて作れなくなっていた。それが定年後思い出された。しっかりした自作教材を完成させよう、と、これは自分への意地であった。退職して活用の不可能な代物、その意味では無駄な意地であったが、無駄だろうが何だろうが、それが意地というものだ。バカだね、まったく。
『竹取幻想』には子どもらにとっては重要なテーマを散りばめた。
結局のところ、これは自分史なのである。書きながら否応なく稚拙な自分に向き合わざるをえなかった。そして結果として和歌や歌人漢詩漢文、近代文芸などを学びなおしたのである。

ようやく一つの形を作れた。
あとはできるだけ安上がりで製本してくれるところを探し、本という形で読んでくれそうな人たちに押し付けて終わるつもりだ。せいぜい数十部。

なんて、つれづれ書いていたら晴れ間が戻った。
戻ったとおもったらまたモン太郎が足元に来た。ミーちゃんは相変わらず寝たままである。何やら寝言を言いながら。どんな夢を見ているのか。穏やかな夢に違いない。




写真 居間の前のベランダもどきの上に置いている、かつては犬のポチ子の小屋に眠るミー。