pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

堀辰雄文学記念館緑陰講座第一日

信濃追分駅にて



例年夏は暑さから敬遠していたが、今夏は初めて参加した。今日明日の連続講座で10時半開講なので昨日に御代田にあるホテルに泊まる。文学館のある信濃追分の隣駅であるが、懐かしさもあって御代田泊となった。半世紀ほど前に、卒論作成という名目で夏休みに御代田の、まるで寮の如き宿に2週間泊まり込んだのである。卒論は遅々として進まず、名前も忘れだが、山の中腹の宿。学生も沢山逗留していたが、彼らが騒いでいる時間は山道を散歩したものだった。明かりは月のみだが、これが明るい。愉しい散歩だった。卒論は堀辰雄だった。怖いもの知らずというが、知らぬから堀辰雄を選んだのだ。結局卒論は留年を喰らって翌年度までとなり、その御代田泊は夜の散歩だけが思い出となった。

その堀辰雄に未だ引きずられている自分なのである。堀辰雄文学記念館において堀辰雄に関する講座があり、それを知ったのは定年後のこと。ようやくというか、息も絶え絶えというか、定年後に一息つきながら竹取幻想を始めた中で、堀辰雄文学記念館の講座に参加し始めたのである。記念館のある信濃追分の風情はわずかながら古色を漂わせて、それも好きだった。堀辰雄が愛した極めて素朴な石仏もあった。油屋も佇まいは残して居る。堀辰雄の旧居も書庫も保存されている。信濃追分にひっそりと大事に守られている。


さて、前置きが長くなったが、本日の講演。


演題
「軽井沢と近現代作家ー有島武郎堀辰雄中村真一郎ほか」

講師
日本近代文学館副理事長 池内輝雄氏


有島武郎の作品は『小さき者へ』、『生れ出づる悩み』『或る女』が好きだった。『或る女』は高校生の自分には「毒」の方がまさった。
小さき者へ』は私の子どもへの認識に大きな影響を与えてくれた。
有島武郎は「近代三大文豪』の一人と池内先生はご指摘なさる。森鷗外夏目漱石と並ぶのであり、私は同意する。若者の心の襞に深く食い込むことに於いては恐らく鴎外や漱石に並ぶ、或いは超える。中村真一郎については私は無知であるが、先生の彼の大作への賛辞は力強く響いた。

芥川龍之介については、彼の片山廣子への恋愛詩をご紹介頂き改めて龍之介の繊細さに気づく。才走った女、と先生は表現なされたが温厚な先生にしては強い表現である。

また立ちかへる水無月
歎きをたれにかたるべき
沙羅のみづ枝に花さけば、
悲しき人の目ぞみゆる。
      詩『相聞』

詩中の「悲しき人」とは愛しい人と先生は敢えてご説明下さる。古語とは縁遠くなった現代の私達へのお気遣いだ。「かなし」とは「愛しい」。

堀辰雄についてはその片山廣子娘、総子との関わりが出てくるが、私は好きではない。芥川も堀もその点は不運であった。

『美しき村』の舞台である愛宕山の景観、登り口などご紹介下さった。今回は無理だが秋には行ってみよう。

軽井沢高原文庫について。
中村真一郎堀多恵子、室生朝子、池内輝雄の4名が理事となり発足。そこに堀辰雄別荘(米人スミス氏所有が開戦で帰国、堀が譲り受けた)を移築。木の皮葺の壁、屋根。暖炉があるが堀多恵子さんは節穴から月が見えたという話を池内先生はご紹介下さった。二冬が限界だった。

ご講演最後は質問時間となり、文学は今後どうなるのかといった話題がでた。
高校入学時点で国語自体が嫌い或いは無関心な、生徒が、進学校か否かを問わず、圧倒的なのですよ‥そう発言すると会場にはため息が漏れた。参加者は殆ど高齢者で現状はあまりご存知無い。「壊滅的です」という私の言葉に池内先生も頷いてくださる。「今の国語は芸ではなく術ですからね」とため息交じりにご指摘くださる。駐車場の契約書を国語読解に入れた例が端的にそれを示すのである。「文系は要らない!」と安倍総理がのたまわった国なのだ。

加えて、日本の各文学館の現状を先生は強く憂いていらっしゃった。公立でさえ予算が少なく、維持するに大変。民間となると目も当てられない。くだんの高原文庫も個人の持ち出しと寄付でかろうじて運営されている。
 
このような問題の話題は私が知る限り今回が初めてであった。堀辰雄文学記念館もぎりぎり、蔵書保管の状況も厳しいという先生のご指摘があった。

さて、明日はどうなるかな、眠くなった。


軽井沢高原文庫内堀辰雄別荘

別荘内部