pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

銀河鉄道の夜




晦日の午前五時。
やれやれ早起きになったものだ、これは老化であると当たり前の慨嘆であるが、なに早晩彼岸へと渡る。私のような愚者は三途の川も船賃なく、あるいは持参を忘れて船頭にバカにされて「泳いで渡れ!馬鹿者!」と罵られて、やはりバカだからふざけんなコノヤロー!と泳ぎ始めるに違いない。どこまで行っても自ら苦労を見つけるのだな。

なんて書いているとやはり日本人で仏教説話レベルだがそんな習性も一部はある。

晦日・・・なんとなく気ぜわしいのもそうだ。TVや新聞などとっくに排除したから正月を迎えようが静かな日々で特段変わろうはずもない。除夜の鐘・・・ウルサイ!と罵られて鐘を突くのもままならぬご時世と相成って、世はまさに末世状態だがおそらく寺社への参詣は例年と変わらぬだろう。

末世とは末法の世。日本では平安末期がその時期だが、千年後の現在もいまだに末法なのである。阿鼻叫喚の地獄絵図は巧妙に隠され世は平和を装い、その偽装のクライマックスがNHKほかで盛大に流される。

「今だけカネだけ私だけ」

何のことはない。大人はガキ以下。どうもこの国は大人になるとガキ以下のレベルになるらしい。


突如
掲題の『銀河鉄道の夜』の話になる。
仏教神教の習俗が身に着いた日本人にとって、この作品は読みやすいだろうか。ジョバンニやカンパネルラ、キリスト教などが前面に描かれている。実はカンパネルラはルネサンス時代のイタリアの哲学者カンパネッラがモデルでありカンパネッラの幼名がジョバンニであるとどこかのサイトで教えて頂いたが、宮澤賢治の博学に於いてはそんな転用も可能だろう。

ところが九章ジョバンニの切符の場面、己の身を燃やし続ける蠍の話の後に、タイタニック号の青年との次の会話が出てくる。


「僕たちと一緒に乗って行こう。僕たちどこまでだって行ける切符持ってるんだ。」
「だけどあたしたちもうここで降りなけぁいけないのよ。ここ天上へ行くとこなんだから。」女の子がさびしそうに云いました。
「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」
「だっておっ母さんも行ってらっしゃるしそれに神さまが仰っしゃるんだわ。」
「そんな神さまうその神さまだい。」
「あなたの神さまうその神さまよ。」
「そうじゃないよ。」
「あなたの神さまってどんな神さまですか。」青年は笑いながら云いました。
「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなんでなしにほんとうのたった一人の神さまです。」
「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」
「ああ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうのほんとうの神さまです。」


この部分を読むとジョバンニにとっての「ほんとうの神様」はキリスト教のものではない。無論仏教のものでもない。
宮澤賢治は当時の仏教界を厳しく批判し同時にキリスト教も批判していた。世俗宗教への批判である。
そこから『銀河鉄道の夜』は両者を高位の段階で洗い直して「ほんとうの神」を描こうとしたのではないかという読み方も出てくる。


つくづく面白い『銀河鉄道の夜』であり、私はこの作品作者を日本近現代文学の最上位と見る。
しかし、そんな分析で読むのは本来の作品の読み方ではない。作品そのものを鑑賞するには、そんなものは雑念あるいは雑音でしかない。

あくまでこの作品の価値は美的感動の深さであるだろう。宮澤賢治の思想や博学に裏付けられた幻想の美しさはその豊富な語彙力の宝石によって、未完ながら完成しているのである。


私が管見の限りで、『銀河鉄道の夜』への鑑賞文の最良の文章は以下のものである。


「妹トシへの鎮魂の物語のよう・・・死とはこのようであってほしい願いのようでもあるし、読んでいると言葉がとにかく煌めく」

銀河鉄道の夜は、生と死の境界を取り払って、曖昧なファンタジーの世界を見せることで、どこまでが生者でどこからが死んだ者なのか、脈絡のない展開が次々に現れ、全てが煌めいて不思議な感覚のままいつの間にか死者になっていくような曖昧さがあたたかい。」

「死は怖くない、とトシに言い聞かせているような。もし余命宣告されたら毎日、銀河鉄道の夜を読んでファンタジーの煌めく世界に浸ったまま、そのまま死にたい。本当に死んだら、サザンクロス駅に十字架のような光が天の川に立ち上がり、膝まづいたら、霧に包まれて消える。本当にそんなふうに死ねるような気さえしてくる」


宮澤賢治はこのような読者を得てまことに本望だろう。

 

「真に愛する者は常に力を得る,愛の想像力と美しさは愛する魂を倍にする。どんなに(ひる)ませる企てにも屈することなく,痛みも和らいでしまう。ありふれた女性の愛が,これほど力を与えるなら,永久の高貴の愛であれば,どれほど歓びを与えることか。魂は測り知れない希望となる」(カンパネッラ「哲学詩集」愛,そして真実の愛への導き)



晦日宮澤賢治銀河鉄道の夜』を思い出し、嬉しい締めくくりとなりました。




参考
トマソ・カンパネッラ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%BD%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%A9


宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-仏教と異界への入り口に登場する植物-
   石井竹夫 帝京平成大学薬学部
http://www.jsppr.jp/academic_journal/pdf/vol.19.no1_p25-31.pdf


宮沢賢治の遺言~「銀河鉄道の夜」における新しい精神世界~
https://ameblo.jp/eliyahx/entry-12625355997.html

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