pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想 了(改稿)

終章の始まり 

 

窓を開けると、青い群竹を吹き抜けたさやかな五月の風が身を包んだ。西側の山、弥山と名付けたがその緑が陽に滴りながら輝いている。

 

十年過ぎた。動植物たちも人間も復活した。とは言え十年、まだみな幼いか若いが。着地してからのマザーはやはり全力でかつ深い愛情をもって、宇宙船に格納されていた遺伝子から養育したのだった。

「まったく大変よね。休む暇もないのよ。野も山も作って同時に町作りもしなきゃならないしね」マザーの能力は一秒で一兆回の演算能力を誇っていて、そんな彼女の八面六臂ー彼女の活躍に合わせて表現するなら八十億面七十億臂というべきだろうかーの活躍をもってしても今日までまる十年かかった。幼い人間の子どもたちはみなマザーの分身であるスーパーアンドロイドたち(九九%人間だ)が面倒を見て、素晴らしい自然のなかで元気に育てている。僕はそんな子どもたちが三歳以降になるとさまざまなことを教えている。まあ古代人のやってた「寺子屋」みたいなものだが、あちこち作ったので結構忙しいが楽しい。アンドロイドの友人たちが苦手とする文芸の分野が中心だ。しかし、あの史文徳のような義塾には程遠いかな。

 

 ドーム無用の空、地球よりさらに深い青色、紺碧の空か。快適だ。

「ねえ、マザー、あの瀬戸内の青い海を再現してよ」

「言うだろうと思ってたわ。任せなさい!」

 打てば響くとはマザーのことだ。そして弥山も生まれたのだ。僕の家は古代式にしてもらった。あのね、最新式のマンションなら一日でできるけどね、古代のそんな家って大変なのよ。わかってるの?とマザーはぶつぶつとこぼしたが、土と木のぬくもりの畳敷の家。襖や障子も誂えてもらった。そう、僕たちの小さな家は厳島にあるのだ。島には鹿たちも育った。

 

 お母さんの方は今や生物たちの見守りにマザーの作った衛星を使い、星全体の生物の成長を補佐して大いに張り切っている。自然は守らないと!というのが口癖になっている。まあ僕から関心が少し離れたことは喜ばしいことだが油断はならない。

 

 そのように時は優しく丁寧に流れて行ったが、時おり、一方で永遠を前にして止まっているようにも思えるときがある。銀河を渡っていた時の感覚が蘇るのだ。まったくもって、時間は矢のように流れるように見えながら実は渦潮のように動いているのかもしれない。僕たちはお父さんの教えてくれた人間の過ちを繰り返さないよう、細心の注意と万全の態勢で新しい世界を開いているのだが、時が遡行したり渦を巻いたりしているなら、やはり無力なのかもしれない。それはマザーやお母さんには内緒なのだが。

 

 文机に肘をついてぼんやりしていると風が読みかけの本のページをぱらぱらとめくった。地球から見本として運んだ貴重な古い本だ。カンパネッラの『哲学詩集』、母さんの推薦図書でもあるが僕自身の名前の由来がその作者なので読んでみたのである。やはり字面だけ追っても無意味な書物だ。そしてその分厚い書の風にめくられたところから、赤茶けた古代の紙がふんわりと畳の上に飛ばされた。もはや判読できないほどの手書きのいまにも崩壊しそうな紙・・・俄然興味が湧いてマザーの手を借りながら丁寧にその紙の文字を復元した。それは連詩だった。

 

      青空

 

大きな音が響いた。

 

子象は目の前で砂塵を巻き上げて倒れたお母さんを見た。

一緒に草を食べていたお母さんが頭から血を流して倒れているのを見た。

次の瞬間、子象は草原がクルリと回ったのを見た。

サバンナの緑が風に揺れているのを見た。

静かに閉じていく子象の目に青空が映っていた。

 

 

      楡の木と青空

 

彼が消えた

 

忽然と夏の石畳の舗道から消えた

陽炎のゆらゆら視界を邪魔する中で

一瞬の閃光に飲まれて

消えた

 

疎開先で彼女は慟哭したがせんなきもの

しかし、彼が消えたとき

閃光は石畳の上に影を消すのを忘れて

影は刻まれた

石の上に

 

それから百年

幾千万の靴に踏みつけられながら

石は影を守りまだ耐えていたが

千年たった時にとうとうつぶやいた

もうこれ以上すり減っちゃ俺も消えてしまう

そして消えた

 

楡の葉がざわめき

青空は悲しんだ

俺たちは待ってたんだ

お前が戻ってきて自分の影を拾うのを

 

また千年が過ぎ去ったある夏の日

白い窓辺にオレンジが置かれ

窓の向こうに青い海が輝いていた

青いテーブルの上に置かれたガラスの花瓶に海が映っていた

 

部屋に駆け込んできた少女が見たものは

遠い昔の海の底に転がる影のしみた石ころだったが

少女には透き通った花瓶にしか見えなかった

少女はオレンジをポケットに入れると飛び出していった

白いレースのカーテンがふわりと風にそよいでいた

 

青空が微笑んでいた

それでよい

楡の木もうなずいた

 

少女の影に彼の影が重なったのを見届けたのだった

待っていた甲斐があったなと青空がつぶやいた

そうさ、待っていれば必ず顕れるのさと楡の木は答えた

 

俺も何十代めかの楡の木だがと楡の木はつぶやいた

そろそろ俺も消えるのさと楡の木は笑った

 

楡の葉がざわめき

青空は悲しんだ

 

 

 古代人の誰かが書いた詩なのだろう。僕が小侍従に訴えたのは、僕の脳の奥底に隠れていた記憶が自分で制御できないほどの、沸騰するようなイメージであふれてしまったからだった。父さんの話を聴いてそれはよくわかった。この詩はたしかに地球人類の悲惨と微かな救済を祈っている。「影」は「少女」の影と重なることを希い叶ったのだった。僕はマザーにこの詩を保存してもらうよう頼んだ。

 その紙片が滑り込んでいたページには次の印象的な文章があった。

 

諸部分は全体の生のために、

一なる生へと結合する、

ぼくの肉体に死や生が往き来するように。

 

 窓の外では燕が青空を自由自在に滑空している。なんて美しい飛行だ。青空が喜んでいる。

こうして座して読書していると時間は足早に過ぎていく。通り過ぎた時間はもはや記憶に残るのみだ。その記憶はやがて幻想と化していくのだろうか。随分と過ぎ去った、時の移ろいもまた幻想だったのだろうか。風にめくられた本の一頁一頁は新しい時の始まりを告げるのだろうか。

 

 ああ、文字がしめやかに空を舞い始める。しだいに軽やかに詠いながら空を舞い始める。何万年も昏く深い海底の祠に閉じ込められていた龍が、祠から躍り出て、真言たる偈を唱えて虚空を目指した。同じように文字は詠い舞う。その歓喜の舞いにかすかに震える二上山の山の端より静かに浮かび上がる天女たちよ。江田島大君の天狗岩に舞う天女たちよ。玻璃の輝きをその衣に纏い舞う姿は群青の空の中で月の光を受けながら、星のかけらがまき散らされたかのようだった。

 厳島神社の平舞台に小侍従によってかき鳴らされた秘曲の琴の音はいまも僕の心に響き渡る。僕の心をまっすぐに射抜いた琴の音よ。ふとそのときの小侍従の横顔が浮かぶが、いまもその眩暈は時おりおとずれる。音擦れ、か・・・衣の・・・

あの時、地上の天女たちすべてが厳島の上に現れて、その調べに舞ったのだった。あの満月の下で。それは新しい時の始まりだったのだろうか。

 

 僕の脳裏に去来するおびただしい記憶の数々。もうそれは、あの、自分でも制御できなかった狂おしい悪夢の記憶ではない。小侍従の出現によって悪夢は乗り越えられて消え去り、

希望がとってかわったのだ。

 

 瑞々しい風よ。彼女を包んでやさしく吹きすぎていったか。山の便りを運んできたか。花が咲いたか。子ども達の夢が咲いたように。そして夢が叶うように吹いてくれたか。彼女の

鈴蘭のようなささやく声も、風に似て幾たびも愉悦の声を、ひそかに僕の心に落としていった。風のように。

 

 僕はようやく自分に向かい立つことができた。僕の生は貴女に見守られながらその生の意味をようやく諒解したのだった。孤独などというのはまた幻想だった。一人ではない?そう自問したときすでに一人ではなかったように。

 果てのない無限の大宇宙こそが孤独だったのだ。その果てのない孤独の苦しみよ。つまり僕の命はそんな大宇宙の絶望が生み出したものだったのだ。大いなる虚空よ。大空よ。すべてを包むすべてである貴女はそんな絶望に耐えきれずに、とうとう命を創造した。それは宇宙の静謐に包まれたまごうことなき奇跡だった。その時、無数の星の誘うような瞬きが命の誕生を祝福するかのように、やがて来るその苦しみや死を慰撫するかのように、あらゆる色彩の光輝を虚空に放った。死を受け容いれよ。父さんも母さんもマザーも、地球に残った人々みなが涙したその意味よ。僕はあなたがたの中にいる。僕の中にあなたがたがいる。与えられた生を全うして虚空に抱かれることが命の最善の正義なのだった。かけがえのない涙の意味はそのことにあった。

 

 宇宙は無言ではなかった。宇宙に交差する無数のシグナルをマザーは全力で解析していた。どうってことないわよ。私は光量子なのよ。まあ、私を光子って呼んでね。シグナルも宇宙もすべて粒子なんだからみんな私の仲間なのよ。任せなさい。マザーは(すでに独自の自分の声を合成していた)微笑んでそう言った。シグナルの海を渡る舟は、そのシグナルに誘われるように、僕らの辿り着くべき湊を目指したのだ。愛という湊を。

 

 

 僕は相変わらず机に肘をついて、ぼんやりと窓外の青い匂いたちそうな群竹を眺めていた。とりとめのない思いに浸った。

 

つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

 

 確か兼好法師の『徒然草』の冒頭の一文だったな。彼の書いた通りかもしれない。あやしうこそものぐるほしけれ、か。心の底の深さが計り知れないからこそ、「あやしう」「ものぐるほしけれ」なのだな。古代、兼好法師はその眩暈のするような深淵を覗いていたのだった。

 

 風がまた吹いてきた・・・風はいつも新しく吹いてきた。

 さらさらと鳴る群竹の暗い奥に僕はひそかに夢を残していたのだ。僕は懐かしい夢の形を反芻し愉しみながら、ぼんやりと群竹が揺れ動くのを眺めていた。夢のうつつを信じながら。或いはうつつの夢を見ながら。物語はまた始まるだろうか。

 

 風は肌を慰撫した。無聊の慰めに、こういう場合に古代の地球人たちが嗜んでいたという煙草にマッチで火をつけた。リンの燃えた匂いが鼻孔をくすぐる。じつはこれは本物ではない。煙草の原料となる葉は宇宙船に載せるべき遺伝子サンプルから除外されていたのだ。やれやれ。父さんはそんな僕の行動予測まで立てていたのかと思うと、うんざりする半面可笑しい気もする。まあ、それで光子さんに煙草もどきを何度もおねだりしてやっと作ってもらったのだ。「今回だけよ」と言いながら彼女はスリーカートン作ってれた。「健康に悪いわよ!」母さんの怒る声が聞こえてきたが、少しは気にする風にしておこう。見た目は若いが、地球人年齢換算で僕はもう三十歳をとっくに過ぎているのだ。「仕方ないわね、もう大人だからね。しかしね、私が作るのは全部健康に良いのよ!」「貴女はジョバンニにはなんでも甘やかしぎるのよ!」と母さんと光子さんは言い合っている。彼女らにとって僕は少々悪い息子になったのだが、実はその方が互いに良いこともあるのだと気づいたのだ。平和な言い合いは結構大事なのだ。僕は優しい息子であることよと、勝手に納得しながら煙草もどきの紫煙を愉しんでいると、後ろから、甘酸っぱい珈琲のとてもよい香りがただよってきた。どうぞ、酸味を少し強くしましたよ。と、帯に玻璃のお守りを下げた彼女はにっこりと微笑んだ。

 

 

                                

 了