pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想78

 


「よいかの、子どもたちよ。これから神様にお祈りするのだが、お前たちも心の中で神様にお祈りするのじゃぞ。自分が神様に一番お願いしたいことを祈るのじゃ。さすれば祈りは神様に届き、いつかお前たちの願い事は成就するであろう。なに?一つだけ?あはは、そうだな、お前たちの願い事ならいくつでも構わんよ。あと一つ大事なことはな。その願い事には自分以外のことをお願いしなさい。難しいかな。まあ大人でも難しいよのう」
 佐伯さまはにっこり微笑んでおっしゃいます。

 

 佐伯さまにそうお聞きして子どもたちは手を合わせてお祈りしたそうです。何をお祈りしたかは誰にも教えないこと、自分の胸にだけ秘めていること、そうも教えられて。私も自分が何をお祈りしたかは、はるか天空の彼方にいらっしゃる貴方にもお伝えはしません。

 

「さて、皆さま方、これよりご祈祷申し立てまつりますが、皆さまそのまま坐拝にて結構です」

 佐伯さまは祝詞奏上に移られ参拝は終わります。佐伯さまがおおぬさを振られた音は静かな拝殿にすずやかな風を呼び起こしたように感じられます。正座に慣れてない船員の方々は足の痺れが大変だったようです。

 緊張の時間は過ぎ拝殿から平舞台へとご案内頂きます。その中心の高舞台には巫女さまたちと楽人方がすでに着座なさっていました。私たちは平舞台及び回廊の両側に着座しました。右手には朱の大鳥居が海の上に輝いて拝見できます。

 

「本日はな、神様へのお礼だけでなく、皆さまご参拝へのお礼も兼てな、当社の内侍たちによる舞いをご覧くださりませ」

 

驚き、そしてありがたく思いました。厳島神社の内侍さまたちの舞いは宮中でも評判となっており、清盛さまもいたくお喜びなさっていると聞いておりました。その舞いがいま目の前で拝見させていただけるとは。通訳の周さまも佐伯さまのご説明を熱心に船員の皆さんにお伝えしています。

 

「いやはやありがたいことじゃなあ、儂でも厳島神社内侍の舞いは観られんて。美しさも群を抜いておるとか」
 成清の顔が拝殿のときの緊張から様変わりです。だらしのない男です。内侍さまは後白河院や清盛さまとさえ等しくお話できるお方なのですから。

 

 舞楽のしらべと共に、内侍さまの五常楽の舞いが始まりました。その曲の名の通り、笙 篳篥の平調のしらべに仁、義、礼、智、信の五常を顕すのが舞の元になったとか。またその音から後生楽とも呼ばれているとか。優し気な檜皮色の袍のお姿の、海の上での四名の内侍さまの舞いは、まさに天女の舞いはかくばかりならんと思えるほどの軽やかさと優美さでした。

 

 潮風が舞の動きを支えるようにも感じます。さざ波の音は平調のしらべに色を添えるようです。ああ、関白であられた藤原頼通さまが宇治平等院鳳凰堂に込められた願いとはこのような世界ではなかったのかなどとふと思います。なんの脈絡もない空想にすぎません。彩雲の上に愉し気なお姿で様々な楽器を演奏し、舞い、天上の愉楽を啓示なさる菩薩さまのたくさんのお姿を、この海上厳島神社の彼女たちの舞いに重ねていたのでした。

 

 夢のような時間はあっというまに過ぎ、私たちは感動に言葉もなく厳島神社を退出しました。まだ昼になったばかりです。私はつわぶきや兼綱さまたちとともに宿所に入り休息します。船の方々や文徳家の皆さまも島内の宿所に案内されていきます。

 

 

写真 五常楽 借り物