pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想75

 

 

 翌朝、まだ薄霧の流れる道を草露に濡れながら湊に向かいました。兼綱さまはおろか日ごろお話し好きな清親さまやつわぶきまでみな無言で坂を下りていきます。思うところがそれぞれに深いのでしょう。私も同じです。いよいよ厳島に着く・・・都を出発した時の緊張と高揚感も今はただ静かに歩みを進めるのみです。私はしかしそれだけではありませんでした。昨夜の眠りのなんと心良かったことか。これは夢なのか。さえぎるもののない空に、体がまるで雲のように軽く、ふんわりと浮かび上がるようにさえ感じたものです。花々の芳香さえ漂っておりました。このまま死すればなんと幸せなことか・・・夢なのか・・・そんな言葉がふと聞こえてきました。そんな不遜なことまで脳裏に浮かびました。

 

 湊に近づくとおチビちゃんたちがきゃあきゃあ騒ぎながら駆け寄ってきました。兼綱さまたちも皆さん明るい笑顔になります。

 

「昨日もね、さっきもね、島の女の子と一緒に遊んだんだよ!」と口々にお話してくれます。どんな子?と尋ねると雪丸が顔を赤くしながら、かわいい子、と答えます。菊丸までがかわいい!と叫びます。あらあら良かったわね!と頭を撫でてあげます。あのね、ふみちゃんとあきちゃんって名前なのと猿丸が教えてくれます。あのね、ふみちゃんはすぐ泣きべそをかくの。あきちゃんは反対ですぐ怒る。そうやってわいわい言いながら湊に着くと蔡さまや成清の傍らに一人の小柄な老人が並んでいました。

 

「姉様、この方が島の長老で江田島の総氏神八幡宮宮司の三枝殿でござる。今朝早うからお出で頂いておる」

 

 兼綱さまはじめ私たちみな顔を見合わせました。昨夕の方は誰だったのでしょうか。

 

「三枝でございます。昨夕に皆さま御着きになられたと遅くに聞き及びお出迎えもできずに大変申し訳ないことで、小侍従様には伏してお詫び申し上げます。そして成清様にお聞きした昨夕の出来事、大変ありがたいお話でございます。いま大歳神社には宮司はおりませんでな。そのご老人とは大歳ノ神様でござりましょうや。皆さまがお出で下さったのに私めは知らずに過ごしてしまい大歳ノ神様が顕れなされたのでしょう。なんともはや畏れ多いことです。もうご存じのことでしょうが、大歳ノ神様は厳島の神様の分身であらせられましてな。皆さまの徳にお感じなされてご降臨なされたのかと存じます」

 

「いや、三枝殿には連絡もせでこちらこそまことに失礼した。お許しくだされ。しかし、大歳ノ神様とはまことに有難いことで我ら感涙しておったところです。姉様」成清は滂沱の涙にくれながら顔をくしゃくしゃにしています。

 

 私などに徳などあろうはずもありません。あるならばみなさまです。しかし、道理であまりに清らなお姿でした。このようなことも起きるのですね。ならば昨夜の眠りもまたその御徴だったのではないでしょうか。そのことを兼綱さまに申しあげると、やはり皆さま同じような眠りを得られたとか。それが不思議でずっとお考えになっておられたようです。不思議なことだ不思議なことだ・・・清親さまも繰り返し呟いていますが、そう、不思議なこと、夢かうつつか・・・川尻の寺江のお宿でうつらうつらと見た夢を思い出します。

 

     世の中は夢かうつつか 
           うつつとも夢とも知らずありてなければ

 

 こころに溢れるほどの想いが駆け巡りました。そして昨夜の夢のなかでこのまま死すればなんと幸せなことかなどと思った浅はかな私の気持ちは霧の晴れるように消えていました。

 

 子どもたちが私に良いものを拾ったよと手のひらを見せてくれます。手のひらの上には大小の朝日に輝く玻璃が載っています。川や浜辺で見つけたのと菊丸が教えてくれます。お姉さんたちが教えてくれたんだよと雪丸も話してくれます。まあ綺麗だこと!と褒めると大喜びです。子どもたちは無心にその美しさに夢中なのです。

 

「おお、玻璃ですか。この島には玻璃の山がありましてな。それが川や浜に流れてくるのです」

 

蔡さまが目を大きく見開いて仰います。

「なんと玻璃の山・・・山ごと買い取りたいものじゃな。いや、失礼千万申してしまった。商売人の性、その卑しき魂胆、お許しあれ。この江田島・・・厳島同様に神の島であられるのう。いや、昨日はどこに停泊するのが良いか水先案内人の勘助さんに尋ねたところこちらが良いと、我々も急に決めたことでな。三枝殿には申し訳なかったが、いやはやなんと得難い出会いとなったものじゃな。日本の神様にお会いできるとはな!」

 

 勘助さんは瀬戸内の島々もみなご自分の庭のようにご存じなのでした。

 三枝さま先頭に全員、無論船員の方々も全員大歳神社に参拝し、米三俵お神酒一樽の初穂のお供えののち、三枝さまにお清めのお祓いをして頂きました。

 

 三枝様や島の方々にお別れして、さあ船出です。

 

「右に見える小さな島、あれは江波島、通称馬島と申してな、文字通り馬の放牧をしておる。馬は朝鮮半島済州島から来るのです。

 前方、安芸の国です。手前は入浜が広がっております。あの広大な土地、製塩業も盛んですわい。干潮の差が大きく湊も作られておりますがうっかり潮を見誤るとえらいことになりますでな。ああ、面白い漁をお教えしましょう。浮き鯛漁と申しましてな。干潮時に鯛どもが逃げ遅れると鯛の浮袋の調節が間に合わず浮かんでしまう。それをごっそり手間なく拾う訳でございます。そうそう、湾の右、少し陰に見える、あの小さな島が比治山と申しましてな。左に見えるあの江波島の江波山には衣羽神社が鎮座なさってますが、この二つの島、なにかお気づきになられませんかな」

 

勘助さんは悪戯っぽく微笑みながらなぞかけをしてくれます。

「う~ん・・・」

 これには子どもたちは頭を抱えています。文祐さまや皆さまも腕組しながら唸っています。成清は答えをわかっていますがにこにこと見守っています。

 

「そうだ!わかった!羽衣伝説だ!」そう叫んだのは仲光さまと清親さま、ほぼ同時でした。

「まず比治山、丹後の比治山と同じ名前で風土記の羽衣伝説で有名です。そして衣羽神社、衣と羽をひっくり返せば羽衣ではありませんか!」

 

「当たり!」勘助さんはかじ取りの方へ指示を出しながら満面の笑みで仰います。

「よく勉強なされておられるのお、若いながらご立派でござる。そう、羽衣のお話じゃ。そしてな、付け加えるとな、さきほどの江田島の奥に鎮座まします八幡宮にはな、厳島明神様つまり宗像三女神様も祀られておってな。そう、三女神様の羽衣の天女かもしれんなあ。お子さまたちが遊んだ女の子もその化身かもしれんと儂は観ておった。あの女の子たち、遊び終えたらどこかに消えてしまったからのう。まあ天女にしても宗像三女神さまにしてもこの子どもたちと遊びたくなったのかもしれんて」

 文祐さまも真剣にお聞きになっています。

 

「もうすぐ厳島ですぞ」と勘助さんは皆さんにお知らせします。

 

 甲板にて蔡さま、李船長、周さまはで正装礼で、兼綱さま、康忠さま、競さま、仲光さま、清親さまは白藍の直垂姿で私の右にお並びなさいます。私とつわぶきは壺装束で甲板に並びます。史文徳さまは道士服で、ご家族は水色の水干で私の左側に並びます。成清が白の正装で前に出てきます。緑に輝く厳島が大きく見えてきました。船は次第に速度を落とし、錨を下ろせ!と李船長の号令でぴたりと船は停止します。

「これより洋上遥拝を執り行う。総員甲板に整列せよ!」李船長の号令が航海長へ、操舵士へほか船員の皆さま全員が甲板に整列します。みなさまそれぞれの正装です。

 

 澄みわたった空、碧く照り返す波の向こうに朱塗りの大鳥居が見えます。温かな潮風が皆さんの裾をなびかせています。もう何度か洋上遥拝を経験なさっている船員さんたちもみな成清先導で、一斉に二礼二拍手一礼で遥拝しました。

 

 

写真 借り物