pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想74





   なかなかに夢にうれしき逢ふことは
         うつつに物を思ふなりけり      西行


 まだ夕日の残照が海を茜色にそめあげ、さざ波があやに輝くなか、切串の湊を上がり島の長老のお出迎えで大歳神社に案内頂きました。

「小侍従様とか、都の高貴なる方をわが賤の家にお泊りいただくことなど恐縮至極でござりまするが、石清水八幡宮成清様の仰せとあらば我らの能うる事どもならばいかようにも仰せつけくださりませ」

 聞けば大歳宮司さまとか。長い白髪が潮風になびいてお髭も胸にかかっていらっしゃいます。夕日に白い衣装が眩く輝いています。

「おお源氏の方々ですか、平氏の方には時にお会いしますが源氏の方にお会いする機会は少ない。そちらは宋の方々でいらっしゃるか。おおいつも通過なさる船を見るばかりでございました。ああ、これはなんとかわいらしいお子達ですな。貴方様がお父上でござりますか。皆さまようこそお出で下さいました。成清様にお聞きしますところ、皆さま厳島神社へ参拝なさるとか。佳きかな。皆さま当地で身を清められ参拝なさいませ」

「当社はかの清盛公厳島神社造営のみぎりに、造営で生まれた端材を頂戴し建立したものでござりまする。きりくしと呼ばれるのもそこから来ております。申し受けた材を串のように切る土地。したがってここにまします大歳神は厳島神の御子のような神様でございますな。皆さま方がたまたま切串に寄られたのもそんな大歳神様の縁でござりましょう。お清めは明朝です。お食事も船ですまされたとか。今夜はごゆっくりお休みくだされ」

 子どもたちは文祐さまの見守りのなか、湊で島の子どもたちと遊んでいます。私たちはまず大歳神社を参拝しました。大きなお社ばかり見てきた私たちは、深い木立に囲まれ燈明の明かりで浮かび上がる小さなお社の前で、なぜか心が安らぐのを覚えました。蔡さまや李船長はなにやら驚かれたご様子です。

「社の中には何もない!」

 周さんが叫びました。なるほど何もない空間です。私たち日本人には当たり前の事でしたが宋の方々には実に意外だったのです。

「そうであったのう。宋の皆さんに話さねばならんな。実はな、日本の神々はな、その空間にいますのじゃ。清らかで聖なる空間じゃ。それが神社なのだ。我が国では仏教も盛んで篤く信奉されておってな、仏教は仏像仏画を奉じて祈るが、古来より続いてきた神道にはそれらはない。あくまで神々のいませる空間であり、そこの神々を奉るのじゃ」
「おお、ここにいます大歳神様はな、五穀豊穣や家々を守ってくださる祖先の霊でもあり、新年には家々においでくださるありがたい神様なのじゃ」

 文徳さまがお尋ねになります。

「では祈りを捧げるのはその社の空間にいらっしゃる、目に見えぬ神々に対してということですか。儒教仏教道教のわが宋国にはないことです」

「そう、もともと古来の神道の神は国にまします八百万の神々であってな。なに、自然なるもの全てに神が宿っておられる。これは西行殿に聞いた話だが、なんでも陸奥のある地方では草木さえ供養するらしいで。人々のその祈る姿も尊いものよのう。山川草木悉皆成仏、これは空海様が涅槃経によってお伝えになったとか。しかし、神道は違う。草木が成仏するというのではない。そもそもが草木も神であらせられる。それよりはるか前からわれわれ日本人の心にはそのように自然全てへの畏敬と信仰があったのじゃ。八百万の神とはそういうことじゃ」

 成清の話に宋の皆さまはしきりに頷いていらっしゃいます。
「つまり、我々が明日参拝する厳島神社も同じなのですね」
「そう、じゃが、厳島神社の場合は厳島という島全体がご神体であるからの。まあ山も神、それと同じよ」

 文祐さまが子どもたちを連れて戻ってきました。全員で大歳神さまへの参拝をしたあと、私とつわぶきは兼綱さま方とともに宮司さまのお住まいに入らせて頂きました。そのほかの皆さまはお船でお休みになりました。今夜は静かに寝ることができそうです。









写真 江田島より瀬戸内の景色  借り物