pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想85



 僕は小侍従に思いを訴えた。狂おしいほどに歓喜が湧きあがる。絶望の中から。眩暈・・・その眩暈はどこから生まれたのだろう。脳の一瞬のショートよ。マザーの言う遺伝子の悪戯か。そうだった。絶望なんて言っちゃいけない。マザーを泣かせちゃいけないのだ。彼女は「絶望なんて感覚もね、原始的な人類だったころの感覚なのよ」とあっさり言うだろうが。

 僕の脳に無数のイメージが湧きあがる。いったい誰のどこでのいつのイメージだろう。黒雲の堕ちるところ、アスファルトの炎上、地下水道の愛憎、ネオンの死滅、闇の死滅、教誨師の燻製。


白い道は丘の向こうの林の上の空まで届き、青い影は杭に引っかかったままのびて枯れ果て、鏡の反転の虹が凍てつく息が言葉が燐光のように燃焼する。

今日の終わりはたのしいよ
昨日の始まりは

いつものように笑えばいい
いつものように腹をすかせていても笑えばいい・・・君はだれだ・・・

昏い地表を霧が滝のように流れ林間より漏れてくる最期の光彩が足元を照らす。

木々のざわめきは消えてただ、やわらかな草を踏む音がかすかに、鳥たちも静かになった。間もなく真っ暗な闇に包まれるだろう。いや樹上はるかの星々が、あるいは青い月が、この深い木立の中までは届かない。まだ落葉せずに茂りあう枝のしたには地軸にそって立つ自分の影も見えなくなり、僕はもはや垂直な感覚も失われ、足元がおぼつかない。地についているはずの足がどこにあるというのだ。

闇に慣れてきた目が初めて目にしたものは流転する闇のむこうに棲む竜の雲海。昇ってくる月をめざして挑みかかる竜の銀鱗がようやく林をぬけでた僕の目の前を、厚い霧をまとわせながら渦巻きながら駆けあがろうとする。

はや月は中天から西の山際にかかろうとする。

風が激しく木々を揺らし始め枝枝はごうごうと唸りを吹き上げる。黒い林は大きく波打ち、もはや僕の影も重さも消えていった。消えていった後に残ったのはわずかに踏んだ草の跡だけだったが、そこにしばらくすると露の雫の光の玉が月をやどしていたのだった。


むかし先生に「屹立する水平線」とヴィジョンを示された私が眩暈を覚えたのは僕がまだあまりにも子供だったからだ。なつかしい子供よ。

今は山の稜線の向こうに幻視の虚空が大きな口をあけていても、たとえ昨日の光軸が反転して今日の幻聴のダイヤの砕け散るフーガとなろうとも、玻璃の秒針が一瞬にして体を射抜いて闇がひたひたと足元より包み込もうと。僕はいる。

大地の裂け目から立ち上る膨大な褐色のガスはゆっくりと虚空に吸い込まれていく。虚空?それはゆっくりと撒きあがっていく。太古の龍よ。深い海中の洞のなかで詩を紡ぐのか。奇跡の詩を。その輝く銀鱗から発する限りない放射は僕の分身を覆い尽くす闇を熱するのみだ。太古の龍よ、奇跡の誕生の痕跡はどこに隠されたままなのか或いは死か。

波濤に謡う日は今日の雑踏の足音にかき消されたままもう戻ってくることはない

一面の菜の花
一面の虚空
一面の花
一面の


歪んだ埃っぽい街を轟々と突きぬけてゆく電車の窓辺に、母親にもたれかかってうとうととまどろむ子供らの頬に射す午後の光と、夕陽の差し込む病室のベッドに横たわる、間もなく祝福を授けられるであろう嬰児の口元に漂う母親の愛情と、僕は何を躊躇う必要があるのだろう、足をほんのわずか前に踏み出すことに。

初めて自分の2本の足で立ち上がった祖先はおそらく眩暈に耐えながらその視線のかなたに見たのだ。「屹立する水平線」を、その水平線の背後の虚空を。


一面の菜の花

一面の虚空

一面の花

一面の砂

 



ああ、小侍従よ。聞いてください。貴女の厳島での琴の音の響きはまさしく神韻と呼ぶべきものでした。聴くもの全てが涙したのはその琴の神韻のなかに虚空の響きを聴いたからに他なりません。すべての迷妄を吹き飛ばす虚空。西行さえ涙したのもそのためでしょう。その一つ一つの音は宇宙の端てに伝播し木魂し僕の中に反響しあうのでした。宇宙の端て?ああ、もはやそんなものは消えたのですね。

貴女の琴の音は竜神の心さえも動かしたことでしょう。そして僕は同時に深海の洞穴に潜む竜の詩を聴きたいとも幼子の匂いや寝息も感じたいとも思うのでした。