pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想84


 僕はいま眩暈がした。頭がくらくらして体が宙に浮いたような、目が回ったような。そして完全に虚脱した。僕のこの眩暈は間違いなく小侍従のお話によってもたらされたものだ。眩暈など僕が地球を飛び立った時以来だった。あれは生理的な現象だとマザーは言った。亜光速の舟に乗れば発進時は誰でもそうなると。しかし・・・今僕に起きた眩暈はそんなことが原因ではない。

 思い出した。小侍従のお話を聞く前の僕の状態を。

(宇宙の漆黒の闇の中に眠る僕の脳裏にひとひらの花びらが舞い降りてきた。それは始め一つの小さな光の粒と見え、次にはおびただしく一筋の川の流れと見え、やがていく筋も大河のように流れるとみると、ゆっくりと回転しながら花は無数に数を増しつつ大きな渦のように流れ始めた。銀河のように。馬酔木の花が梅や桜の花に変わり、辛夷や椿、水仙、大待雪草や水仙の花、二人静や仏の座・・・様々な花々が目まぐるしく入れ替わると見るや交じり合い、舞いながら一つの流れのように輝き始めたのだった。そんな花々の輝きと芳香の中に浮かんでは消えていく誰かの面影の数々・・・時間も空間もそんな花の渦の輝きの中で直進するかのように見えながら螺旋を描き、また、遡行し融け合っていく。宇宙という無辺の海のなかで・・・)

 その時、なぜ僕はさまざまな花を思い浮かべたんだろう。たとえば僕は大待雪草なんて知らなかったはずだ。スノーフレークとも呼ぶらしいがその時突然思い浮かべたのはなぜだろう。

「それはね、ジョバンニ、君の記憶の底に埋もれていた遠い記憶、太古の記憶も含めて、そんな隠れていた記憶が現れたからよ。遺伝子のいたずらね」

 マザーはそう説明してくれた。そうなんだ。しかし、その大待雪草も含めて、そんなイメージが湧きあがったのは・・・お父さんに寝物語で聞いたお話・・・雲の端より突如あらわれた月光の舟に招かれて、二上山の天との昏い境に消えていったひとの、そう中将姫だった。そして中将姫のお話はかぐや姫にも見えた・・・大津皇子の想起はその二上山からだった・・・そんなイメージの中からかぐや姫が小侍従を紹介してくれたんだっけ。そして小侍従の厳島詣での旅の様子を僕は彼女と共に経験できたのだ。その厳島寺社の平舞台の様子は・・・そう、僕の眩暈はそこで起きたのだ。

「それはね、ジョバンニ、君はきっと小侍従に憧れてしまったからなのよ。つまり、恋ね」

おお、マザーは簡単に言う。あっさりと「恋ね」などとマザーが言うのはなにか可笑しい。

「あら、私を笑ったわね。君は私を鈍感だとでも思ってるのかしら?私は全能のマザーなのよ。ずっと君の表情や呼吸、血圧、心拍数、肌の変化など総合して出した結論なのです。参った?しかしまあ、恋?ふふふ、恋ねえ。今の人類に恋などという感情はないはずよ。恋などなくても遺伝子から子供が作れるしね。古代人の感情を君が復活させたってわけね。これは椿事、あ、椿事って佐伯景弘様の言葉にあったわよね。面白い表現ね。いや、そんなことより恋の復活という椿事を宇宙の仲間に教えなくっちゃねえ!」

 ああ、マザーが多弁になってきた。止めないと今度はきっと人類の「恋」の歴史や分析など滔滔と話し始めるに違いない。

「マザー、小侍従のお話に戻るからね。」

「あら、やはりね。恋だわ!ジョバンニの恋よ!初恋って呼ぶのよ!あら、顔を赤くしちゃって。そんな状態を古代人はウブって呼ぶのよ。よく知ってるでしょ。まあマザーとしては古代人の表現の野暮なんて言われたくないから話は終わり。どうぞ彼女と交流なさいな。じゃあね」

 なにが、じゃあね、だ。言いたいことを言い放って勝手に終わるのもマザーの特徴だが、まあ嫌いじゃない。むしろ好きなのだ。