pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

たんぽぽ句会20回 9月15日(金)

 

白萩や小さき黄蝶今年も来      淡雪

 

栗ご飯今宵はお粥卒業日       淡雪

 

帽子編む母の姿の手の形       夏生

 

神無月父の後背目に残り       夏生

 

この味が「いいねいいね」と栗十個  夏生

 

体調の日々に快復百日紅       陽清

 

他愛なき朝の会話や秋澄めり     陽清

 

マスカット一房なれど仏壇に     陽清

 

炎天に燃ゆる紫ごまの花       巴琴

 

出逢ひかな佐倉の夏のレンブラント  巴琴

 

 

白萩や小さき黄蝶今年も来

 

白萩のかわいい花にかわいい黄色の蝶の取り合わせ。今年も来たねと作者の眼差しのやさしさ・・・そうですね、白萩も蝶も自身も精一杯生きてこその新たな邂逅です。

 

栗ご飯今宵はお粥卒業日

 

もう立派な介護俳句のシリーズ。経管栄養からとろみ食、夫を「終末病院」から引き取り在宅介護の日々、そしてとうとう普通食にまで回復なされたご主人を支え続けた作者は単に介護のプロというだけでなく、やはり作者の深い愛情の賜物でしょう。「卒業日」にはそんな喜びが込められています。それを拝読できる有難さを思わずにはいられません。

 

帽子編む母の姿の手の形

 

母への追慕の句。いつも手を動かし、編み物を子どもたちのため家族のために続けたお母さん。「そうよね、昔のお母さんはいつも手を動かしていたわよね。生きているのは手を動かすこと、そんなことを私の母も言ってたわ」と参加者の共感の声。「手の形」に母への万感が込められています。

 

神無月父の後背目に残り

 

コロナ渦中神無月に亡くなられたお父さんへの追慕。一旦入院すれば面会も叶わぬなかせいぜい電話だけ。コロナ罹患者でなくともそのような状況に置かれてしまいました。「じゃあな」と狭い病院の通路を車椅子を自ら動かして去っていく姿。「後背」がなんとも切ない句です。

 

この味が「いいねいいね」と栗十個

 

俵万智の歌に影響されたとか。しかし「いいね」を重ねて丸々と肥えた栗の味に夢中の作者は万智ちゃんより純粋です^^なにせ「十個」です。作者らしい楽しい句です。

 

体調の日々に快復百日紅

 

作者は先月コロナ罹患してしまいましたが見事復活し句会参加。最後は気力勝負かもしれません。ケアハウスは入居者の外出制限を課し、散歩ができなくなったのでハウスの階段を八階まで何度も登る(下るのは膝への負担が大きいので)努力を続け、電車に乗って参加なさいました。ちなみに米寿を迎えられています。百日紅はハウスのどの窓からも目に付くらしいです。あちこちに咲き誇る百日紅の花に癒され、そんな感性も恢復の助けになったことでしょう。

 

他愛なき朝の会話や秋澄めり

 

「他愛なき」日常をさらりと句に詠む作者。ハウスでの親しい友人との「他愛なき」日々もが新鮮に浮かびあがりますね。「異化」という文学用語がありますが、作者の描写はまさにその「異化」作用が際立っています。美しくすばらしいです。

 

マスカット一房なれど仏壇に

 

「身体が弱っているときは果物が良いよね」と作者。とはいえマスカットは高級品なので夫へもお供えした作者。果物は当たりはずれが多いという話から、どこの店がいい?と話題も広がります。楽しい句の作用です^^

 

炎天に燃ゆる紫ごまの花 

 

散歩中、畑で出会いました。花が咲いている傍を歩かないと気づきませんでした。作業中の農家の方に「綺麗な花ですね!」と声をかけるとにこにこ顔です。

 

出逢ひかな佐倉の夏のレンブラント

 

佐倉市のDIC川村記念美術館に先月末見学に行きましたが。美しい美術館の一室にレンブラント「広つば帽を被った男」が控えていました。いやはや間近に対面するとその吸引力に驚かされます。美術館全体の重力がこの男に引き込まれているような感慨さえ感じます。それを記録に残しておきたいだけの句です。

 

 

たんぽぽ句会も20回を迎えました。

なにより皆さんの熱心な参加のお陰です。本句会はお茶会的句会で、愉しさが第一。点つけや序列など一切ありません。

持ち寄ったお菓子やたんぽぽさんのご厚意による場所の提供やお茶の提供など、有難いことで、改めて感謝申し上げます。

またコロナで苦しめられた参加者2名の方々も頑張って恢復なさり再び参加いただいたことも併せて感謝申し上げます。

 

写真では紫いろが出てませんでした。薄紫です。