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いがぐりや寄り添いて今金婚寿 淡雪
彼岸花遠くをとんび回りけり 夏生
ススキ映え賢治の風の聞こえくる 夏生
どの墓も花飾られし彼岸かな 夏生
摘み来たる千草の花を仏前に 陽清
コスモスの咲かぬ異常の気象かな 陽清
街路樹の根元を染めし彼岸花 陽清
悲しみをふり切って立つ曼殊沙華 巴琴
秋の雷一発轟きSing sing sing 巴琴
秋水に流る木の葉やハヤの影 巴琴
いがぐりや寄り添いて今金婚寿
金婚とは、二人三脚での一つのゴール。ましてや作者はこの一年ご主人の介護に献身されています。その介護のご様子は彼女の俳句に鮮烈な姿で描かれています。特に終末期病院に送られたときに、死を前提とする書類への押印を拒否し在宅ケアに切り替えてからのご主人の恢復ぶりは驚嘆すべきものがあります。近ごろはご夫婦でカフェにも行かれたとか。作者の俳句にはそのような「日常」の様子が立ち上がって素晴らしい。「いがぐりや」に作者の愛情が溢れていますね。
彼岸花遠くをとんび回りけり
当地でも先月末から今月当初まで、彼岸花の祭りが巾着田で行われましたが作者はほぼ毎日散歩なさったとか。一面に広がる緋色の彼岸花の群生から青空へ目を転じればトンビが悠々と周回している、遠くに日和田山。全景の句ですね。
ススキ映え賢治の風の聞こえくる
「どっどど どどうど 」のイメージがススキ野原に広がります。賢治が好きな人は動植物や鉱石はおろか大宇宙にまでイメージのインスピレーションが得られるのではないでしょうか。豊かな文学の世界の一句です。
どの墓も花飾られし彼岸かな
そうですね。墓地は一斉に花で埋もれ賑やかとなるお彼岸。お参りする作者もそんな光景に慰められかつ嬉しそうです。勿論、ほとけさんも。今時はそんな伝統も廃れつつありますが、行事としてなかなか良いものです。
摘み来たる千草の花を仏前に
野の花を手向ける作者。供養の心。
何気なくさらりと表現なさっていますが、俳句の熟達の一句、選び抜かれた言葉の一音一音緊密に響き合い素晴らしい。
コスモスの咲かぬ異常の気象かな
年々気象異常が増加しつつある現代に作者は心を痛める。気象異常は気づけばあらゆるところに襲い掛かっている。人為の結果。警句というより、哀しみの一句でしょう。当然、俳句においても季語が成り立たなくなってきます。ゆっくり静かにそれは襲い掛かってきます。
街路樹の根元を染めし彼岸花
彼岸花も今年は開花が遅れましたが、秋口の雨で勢いを得て道端にも咲いてくれました。「根元を染めし」美しい表現ですね。くっきりとその美しい景が浮かび上がります。
悲しみをふり切って立つ曼殊沙華
曼殊沙華という表現が好きです。この花の造形美はまた感嘆すべきものを感じます。まったく、植物は天才ではないか。調べると曼殊沙華は「サンスクリット語で「天界に咲く花」」とあります。仏花。
秋の雷一発轟きSing sing sing
10日ほど前でしたか夜中寝ていたら雷が家の近くに落ちたようでした。なんの予兆もなく突如「ドッカーン」という大音響で飛び起きました。しかも一発だけ。寝ぼけた頭に雷の大音響がグワングワン、でジャズの「Sing sing sing」。
秋水に流る木の葉やハヤの影
過激な暑さも少し和らいだ日の午前中、渓谷を駅まで散歩した時の句。澄んだ川、両岸の緑、眩い日差のなか、ハヤがチョロチョロ流れる木の葉と一緒に泳いでいました。ハヤも激減していましたが少し回復してきたかな。