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雨が降る朝、窓から庭を眺めていると、ふと掲題の言葉を思い出した。
記憶とは面白いものである。自分の心の何かしらの揺らぎの中から、弾みのように浮かび出る。大概顧慮する間もなく消えるのだが、この言葉は感情を遡及させる力が私には感じられた。暇でもある。
「花の祭りはふたつあります。 満開に嘆いた花を神前に献花する祭りと、花の散る時期に活発になる御霊や疫神を鎮めるための祭りがあります」
お話歳時記さんより引用
暮らしの生命線としての農事と疫病。
祈るよりほとんど術を持たなかった古人たち。だからこそ、その祈りは深くそして美しくなった。櫻花はそんな人々の暮らしの大きな指標となったわけだ。
しかし、花鎮(はなしず)めとはその和語の響き、なんとも美しい響きを持つ言葉だ。
櫻花をこよなく愛した西行。そこから連想は芭蕉に飛んだ。私が時々勉強させて頂いている壺中日月さんのブログより引用する。(おそらく12年ご逝去、ブログは残していただいている)
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大和国草尾村にて
花の陰謡に似たる旅寝かな 芭 蕉
「花の陰」と身を置いた場所を示し、その気分が、謡曲の中にあるような趣であると、自ら興じたところが発想の眼目で、誦してみると、句調にもおのずから謡曲的な調子が感じられてくるところが妙である。
前書きの「草尾村」は「平尾村」が正しい。季および制作場所から考えて、貞享5年『笈の小文』の旅の折の句であろう。
平尾村は、奈良県吉野郡吉野町平尾。竜門の滝の南にあたる。謡曲「二人静」の舞台である菜摘(なつみ)川に近いところである。「二人静」に、
「この山に、分け入り給ふ頃は春、所は三吉野の、花に宿かる下臥(したぶし)も、長閑
(のどか)ならざる夜嵐に、寝もせぬ夢と花も散り……」
などとある。したがって、この句も、その俤(おもかげ)を心にしたもので、そういう謡曲的な趣を「謡(うたい)に似たる」と言ったものであろう。
また、『千載集』および謡曲「忠度(ただのり)」の
行き暮れて 木の下陰を 宿とせば
花や今宵の あるじならまし (平忠度)
あたりの気分も、芭蕉の心にあったものと思われる。
季語は「花」で春。「花の陰」であることが、一つの謡曲的な旅寝の気分を誘い出したのである。
「こうして花の陰に旅寝をしていると、謡曲の中の一人物になったような感じで、あこがれていた花の下臥の趣が感じられることだ」
夕ざくらスカイツリーと水音と 季 己
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二人静 という花は白い花茎が二本寄り添うように並んで伸びて咲く。謡曲「二人静」そのままに。菜摘の女と静御前の舞を見たいものだ。
行き暮れて木の下陰を宿とせば
花や今宵のあるじならまし
この歌を俊成は詠み人知らずとして千載集に入れたが、今や朝敵とされた平忠度をかばってのことである。一の谷で敢え無く散った忠度だったが、俊成に託した時点ですでに本望を遂げたというべきか。
花の陰謡に似たる旅寝かな
芭蕉が忠度に惹かれた理由は西行に同じ世阿弥に同じ。人生を投じた和歌の深さである。そして芭蕉は俳諧の深さを極めた。
更に花で連想
八重にほふ軒端の桜うつろひぬ風よりさきに訪ふ人もがな
式子内親王
「もがな」という願望の哀切が美しい。花の散らぬ間に訪ふ人よ散らす風より早くお出でください、移ろう花に自分を仮託し老いていく我が身も詠みこんだ。
昨夜は雨の予兆をうながす朧月夜だった。
照りもせず曇りもはてぬ春の夜の
朧月夜にしくものぞなき
大江千里
降りやまぬ春の雨さへいざなふは
いにしえよりの花のしずくや
拙歌
観る花もみられる花もやすらひて雨けぶる日のひと時の夢
拙歌
先刻より雪に変わった。
雨みぞれ気づけば春の雪となり
静まりてあれ奥武蔵山
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