・
「さあ、お次は……」
「おいおい、まだ出るのか。いやなんとも腹が苦しいわい」
競さまがお美しい精悍なお顔を崩して喜んでおられます。
「さて、お酒は紹興酒でいきましょう。お料理はトンポーロー、東坡肉でございます。猪肉、あいや、こちらでは豚肉と呼んでいるものでございます。酒、醤油、塩、砂糖に筍生姜や玉葱と蒸して煮込んだものです。」
「ほう!酒もトンポーローとやらも良い香りじゃ。」
成清が相好を崩しています。
ほんにまぁ、口の中でとろけそうなお料理です。ああ美味しい!私ももう遠慮なく頂きます。紹興酒と言うお酒、随分強いお酒で、瑠璃の盃で一杯だけ頂戴しましたが、まぁ、これもなんとも甘みのある、芳醇な美味しいお酒です。
「 喜んで貰えて何よりです。この東坡肉、皆様多分ご存知の蘇東坡の名に因んでいます。我が宋の今大人気の詩人です。彼の作った料理、これは更に大人気。肉をこちらで探すのが大変でしたね、こちらの掘景光様に漸く見つけて頂きました」
「おお、存じておる。蘇東坡殿のお名前からとった名前とは驚いたな。蘇東坡殿と言えば赤壁賦!」
兼綱さまが仰います。
「なんでもたいそう立派なお役人で居られた方とか。その蘇東坡殿が料理もなさっておられたのか。」
康忠さまが驚かれていらっしゃいます。
「はい、彼は我が宋の民には大変好かれております。清廉潔白にして節を曲げない。かと言って、頑固ではなく融通無碍。詩文を愛し、自然を愛し、農耕を愛し、民を愛して救いました。二度の左遷など彼には何の苦でもなかったそうです。そんな彼が農民よりお礼に貰った大量の猪肉いや豚肉、豚肉は安く庶民しか食しませんでしたが、そんな肉を見事に調理なさって農民たちに配ったのが大人気となりました。それがトンポーローでございます。あっという間に庶民の間に広まり今では貴人らも大喜びで食します。」
「なんと大きな詩人であるかのう、袁忠、よくぞ教えてくれた。さすが宋の大人物じゃ。
「春夜」
春宵一刻値千金 春宵一刻 値千金
花有清香月有陰 花に清香有り 月に陰有り
歌管樓臺聲細細 歌管の樓臺 聲細細
鞦韆院落夜沈沈 鞦韆 院落 夜沈沈
一方ではかような耽美きわまりない詩を遺しておられる。まつりごとの泥のごとき中より咲き出る花のごときか。」
兼綱さまが仰ることに皆さま頷かれます。
「嬉しいですね!私、日本に来て以来こんなに嬉しい夜は初めてです。料理も喜んでいただいた上に、わが祖国の詩もこんなに好かれたなんて」
「是処青山可埋骨 是る処の青山 骨を埋む可し
この一句も蘇東坡殿の詩であったの。まさに以て銘すべし。」
「兼綱様、その一句、私も今宵よりわが銘としたく思います。」
競さまが仰います。
まことに・・・人生是るところが私どもの尽きるところですね。蘇東坡様のその融通無碍の境地は一体どこから生まれたのでしょうか。節を曲げず、かといって何事にも頓着なさらず思うがままに生を楽しまれたとか。それにしても・・・まあ・・・蘇東坡様のお作りになったというトンポーローの美味しいこと・・・とろりと口の中で溶けていきそう。その深い味わいも、日頃淡い味の料理に慣れていた私には驚きです。もうこれ以上お腹にはいりません。残念・・・こんな感慨は久しくありませんでした。お若い仲光さま清親さまはお替り何度目でしょう。強いお酒の紹興酒とやらも皆さまを楽しく酔わせます。そんな時でした。
写真 浄瑠璃寺 堀辰雄「浄瑠璃寺の春」に於いては廃寺とみなされています。廃れたという意味です。
https://save-joruriji.org/literature/01_joruriji_no_haru/1.shtml