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たくさんあるアルバムを整理していた時である。
小さなセピア色の1葉の写真が畳の上に落ちていた。
それは私が1歳頃か、幼稚園の園庭の滑り台で母が私を支えている写真だった。
ツバのついたハンチングを被った私は不安げに手すりにつかまって足をやや硬直させている。母は満面の笑みであった。
記憶などあろうはずもないのだが、写真に見入っているうちにその場の感覚や朧げな情景まで浮かんでくる。私は確かにそこにいた。
いや増しに増し同時に消えていく記憶。
前に進むのと同時に遠ざかっていく今の自分がその1葉に込められていた。すべて遠ざかるとは遡及と同義であった。即ち前に進むとは死に向かうこと。生成点へと。その先の空(くう)へと。もはやすべての意味はその先に集約されてそして消えるのである。無。
思えば死が私を縛りそして支えてきた。
人類が(大袈裟だが)唯一価値ある発見をした観想である「愛」はそのほとんどが表層であったとしても、それは人類の計り知れぬ残虐性と破壊性と貪欲性に対抗しうる、それは唯一の力であった。
生が死であるなら、それは個人に対しても集団に対しても同様である。人類の滅びはそもそも宿命なのだ。今でさえその予兆はそこかしこ溢れている。その滅亡を目の当たりに見た愚劣な人類がどのような叡智を発揮できるかというのも興味深い。完全絶滅の前に。
はるか古代に愛を発見した者たちがいた。
中国古代の漢字の発明のなかにある愛という漢字の成り立ちを白川字統に見ると「後ろを顧みて立つ人の形である文字と心との会意文字。後ろに心を残しながら、立ち去ろうとする人の姿を写したものであろう・・・中略・・・人の心意を字形に写して、巧妙を極めている」
「巧妙を極めている」と白川先生が観想するのだから、この漢字の発明者の愛への思い入れは察するに余りある。
古代様々な彼らがどんな場面でどんな愛を発見したのかと思いめぐらすのは愉しいことである。確信的に言えるのはむろん出産時であろう。それは感動の発見でもあったはずだ。命を産み出す。命が命を産み出す。遥か古代の人々の想い。そこから男女の愛が生まれたのか。鶏と卵の問題。
はからずも、1葉の写真からそんな妄想が浮かんだ。写真の中で母は永遠に満面の笑みを湛えたままである。
動画 これほど美しい合唱は寡聞にして知らぬ。すべての夜にふさわしい。
「システィナー礼拝堂だけで歌われる門外不出の譜面をたった一度聞いただけで、
「ド」から「ソ」へ繰り返し下行するフレーズを堂々と歌う驚異のボーイソプラノを含む
8重合唱部を聞きわけ、それを正確に記憶し、教会を出てから正確にスコアに記録した
14歳の神童がいた。
それが後に、自身最後の宗教曲となるアベ・ヴェルム・コルプスを作曲したモーツアルトであった。
クリスマスの夜にふさわしい宗教曲である」
https://ameblo.jp/kappa-agri/entry-11432728137.html