pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想83





 ゆっくり、白百合の香りに包まれながら、静かに私たちの話は続きます。その中でやはり私の琴の話もでてきました。先ほど私は満月の光をうけて輝く波の音を聞きながらふと琴を思い出していました。

「小侍従殿、もし宜しければ貴女の琴を聴かせていただければこの上ない喜びじゃのう。このような機会はこの二〇年なかった。またこののちもおそらく無いであろうからなあ。いやはやこの厳島神社の平舞台に貴女がおられる上に満月とはな。忠度殿の白百合も見守っておる。貴女が滅多に琴を弾かぬのは承知しておるが、拙僧心からお願いいたす」

 西行さまにそう言われては、というより私自身すでにこのとき琴を弾きたいという思いが内から湧き上がっておりました。

「そうか!弾いていただけるか!ありがたい!それでは内侍に頼んでくるでお待ちあれ」

西行さまはまことに率直、表裏のないお方です。私が琴を弾かない理由はその秘曲にあります。源範基さまに伝授頂いたという秘曲は雅楽頭であられた源範基さま家伝の秘曲であり、一旦おおやけにすれば必ずや他の方々にまねびもされてその譜が争いごとにもなりかねず、さらには曲のもっとも大事なところである心ーあはれーを損なっていくであろうとの源範基さまのお教えを私は守っていくことをお誓い申し上げていたのです。譜とはただ弾き方のしるべなのですが・・・そのしるべ通りに弾いても秘曲を弾いたことにはなりません。むかし紫式部さまが源氏物語の中でご指摘なさったように、雅楽の中でもっとも衰退著しいのが琴です。本来は広めなければならぬ使命を源範基さまはご理解の上ですが、もはや時の趨勢に抗い難いことに悲しんでおられたのです。西行さまや太皇太后藤原多子さま、頼政さまや忠度さまなど、ごくわずかの方々に私的にお聴き頂いたほかにはありませんでした。それは西行さまもよくお分かりの上での先ほどのご希望だったのです。

 ほどなくして西行さまは大事に琴を抱いた釈王内侍さま方と佐伯景弘さまをお連れしてきました。

西行殿にはいつも驚かされてばかりでな。さきほど西行さまがお出でですと内侍に告げられたときはまた驚かされ申したわい。ところがさらに今、小侍従様が琴を弾じなされるとか。西行殿がかくかくしかじか、それはありがたいことこの上ないことじゃ。そう申されてな、私がお邪魔してはと思ったのじゃが、いや、この上ない機会、お邪魔をお許しあれ」

 内侍さま方も頭を下げたままです。私がお断りする理由はありません。皆さま西行さま同様にお心のまことをお持ちの方々。

 私は前に置かれた琴を弾き始めました。象嵌された貝がまばゆいほどに月光を反射します。私は皆さまに夢のような時を頂戴し、感謝のただ中で、本当に久しぶりに琴を弾きます。これほどに幸せなことはありましょうか・・・


 幼いころに雨だれの音や葉擦れの音、緑なす山々の音や吹き渡る青嵐の音などに聞き入り、それらを静寂の声と感じて親しんでいた思い出。母である小大進に琴の手習いを受けた頃の思い出。そして源範基さまとの思い出。三条宮、のちの以仁王さまに琴をお教えしたこと、この数日の旅の思い出などなど。そして弾いている私は満月の光や波の音、白百合の花の香りに心が満たされているのを覚えました。

(一つの音が琴から空に舞い始めます。
しだいに、重なる音が群舞を始めます。まるで桜の花が一陣の風に舞い散るように薄桜、淡紅藤、韓紅 、若紫、翡翠色 ・・・音は様々な色をまとい舞うのでした。様々な色の薄衣を纏う音の主たちの宴が始まります。華麗なそんな音たちですが、音をはじき出す度に静寂はまた底しれず深まっていったのです。そんな静かさは孤独をしらぬ私の大切な友でした)

 そのような幼いころの思い出がふいに胸にあふれそして静かに消えていきました。弾きながら、さまざまな音はさまざまな色をまとい形を示し、そしてこの陶然とした心持ちさえ、やがてただただ無心となっていくのでした。

 あとで教えられたことですが、いつの間にか厳島神社社殿の周囲の浜に、兼綱さま、康忠さま、競さま、仲光さま、清親さま、また文徳さまや文祐さまはもちろんのこと宋の方々や社人の方々の皆さまも端然と座してお聴きになっておられたとのこと。成清もつわぶきも。ああ・・・子どもたちはこの月下ぐっすり眠ってすやすやと寝息を・・・

「涙をこぼさぬ者はだれ一人おりませんでした」のちにそう教えて頂き私もまた涙したものです。


 私は、このひと時の意味を思います。このまま時が止まってくれたらという、先刻思い出した言葉を反芻しながら。

 満月は西に傾きかけながら、平舞台や島を、海を、まるで化粧をするかのように白く照らしています。西行さまとのこの時も、皆さまとはからずもご一緒に過ごしたこの時も、朝には儚く消えるでしょう。しかし、この幾時かを得て、私は生きていてよかったと心から思ったのでした。




 

 

写真拝借