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「心のかたち」
もう40年以上前、私が新任の時、初めて自主教材を作成したのがこのタイトルでした。これは生徒たちに興味を起こしたようです。昔の慣れない印刷機を動かす面白さも加えてインクで手を汚しながら、それが私の自主教材の初めての経験でした。その後、多忙な中で転勤も繰り返しながらも時々は自主教材作成をやっていたものです。
「正直に言えよ。国語の好きな人、手をあげて」
殆どいない。
「嫌いな人は?」
3割以上の手が上がる。
「残りの人は?興味ないのだな?」
残りの生徒は頷いたりにやけたり。
新入生の初めての授業の時は必ずこのやりとりをしていました。生徒たちは小中を経て見事に国語が嫌いになるのでした。進学校でも同様。進学校はさらに質が悪くなります。受験のための授業を期待しているのでした。それではダメ。受け身では絶対ダメなのが国語です。教師や学校が嫌いでも国語は好きだ、そうでなければ国語の世界は程遠いのです。
漫画しか読んでないなあ、から、漫画も読めないなあに変わっていった時代。アニメ全盛を迎えましたが、つまり受け身そのものになったわけです。私も漫画やアニメは否定しませんが、それだけでは・・・尤も、漫画は小説などの読み物より質が高い時代らしいです。
いまアイスコーヒーを飲んで一服する間にネットを見たら某国語塾の先生の記事がたまたま載っていて、読んだら、やはり・・・東大理三の合格者の自慢話でしたが、指示語やら主語やらと相変わらずのお受験世界。面白さは完全無視。これでは人間が育つわけがない。まあ営利目的ですから仕方ありませんが、ついでにひとこと、「主語」?日本語では主格を示す助詞が曖昧で文法学者でさえわからないのです。
さて話を戻します。
「私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語である。」
以前の文章で引用したエミール・ミシェル・シオランの言葉だが、この言葉は国家という政治的存在への本質的洞察だが、同時に人間の存在への洞察でもある。
「私たちは、ある国に住むのではない。自分の言葉の中に住むのだ。言葉とは自分である」と言い換えてもよさそうである。つまり、自分は言葉の中に存在する。
以前、私はそう記しました。加えて言うなら、国語を奪うことが独裁国家の植民地支配の常套手段です。いまプーチンというスパイ上がりの狂人ー平気で殺人を強制するので狂人ーによって殺戮されているウクライナの人々も1991(平成3)年の独立以降に母国語がようやく自由に使えるようになったわけです。
ということを前提に日本を見るなら、意図してか図らずもか、日本人は国語を喪失しつつあると理解してよいのでしょう。前の文章で書いた「自考」問題とも一致します。
だから何なんだ?
そう、私如きがいくら憂いようが無駄です。そして今は憂うることさえ閉じています。ただ「竹取幻想」への自分のアプローチをまとめるためです。
自主教材としての「竹取幻想」、正直これは小侍従という女性の存在をある方のご紹介で知ったことから始まりました。
『辛酉夜話』
ブログ『辛酉夜話』主人菅宏さんはなんと60万字に及ぶ研究成果を20万字程度に収めて公開なさいました。1987年、65歳から始めた市井の研究家で10年かけて完成なさったそうです。現在、残念ながらそのブログは閉鎖されて読むことはできませんが、私は現役最後の年に片っ端から印刷し紙として保存しております。ご許可は勿論頂いてです。彼の長大な文章の情熱に煽られながら、私なりの小侍従のイメージを作り上げました。菅宏さんに深く御礼申し上げます。
桑子 敏雄『西行の風景』
次に哲学者、桑子 敏雄先生の『西行の風景』には西行理解の本当の真実をお教えいただきました。和歌の読み方の王道です。この著作なくして西行へのアプローチはできませんでした。深く感謝申し上げます。
柳澤桂子『生きて死ぬ智慧』
生命科学者、歌人の柳澤さんの著作。副題「心訳般若心経」とあります。人生の大半を病に耐えながら思索を重ねられました。それだけでも人生の師とすべきあり方です。この著作で「虚空」の世界を伝えて頂きました。深く感謝申し上げます。
ほかにもちろん沢山の方々の文章を拝読させて頂きました。逐一知識を授かりました。深く感謝申し上げます。
このようにして私の拙作はようやく完成しました。もはや無用の長物ですが本として出せたことは望外の喜びです。振り返れば私の未熟ながらの人生の纏めとなります。越し方すべてが結びついていき、ご縁もつながりました。
製本時にあれこれ費用の軽減を模索していると、たまたま帰省していた娘が、足りない分は私が出すから存分にやってくださいと言ってくれました。勿論娘に負担などさせるわけはありませんでしたが、その一言もまた、出して良かったと思える思い出になりました。
地元で「仏教講座」を拝聴していますが、ご教授いただいている先生は私の母校の同科の先輩で中世文学を研究なさっている方で、拙作に対し幾度も応援いただき大きな励みとなりました。
また、小侍従の墓のある大阪島本町の公民館、教委には突然訪れてご丁寧にご対応いただいて感謝申し上げます。まあ関西の人は大概ご親切ですが、そのような時にはありがたさがよく分かるというものです。
そして、この場で、お読みいただき加えてコメントまでいただいている方々のご厚情に深く感謝申し上げます。さすがに無コメントのままでは継続しませんでした。
やれやれ、こんな拙作も皆さまの有難いご縁によって出来上がったことですべて感謝しかありません。
最後に製本していただいた銀河書籍ご担当者様には、web上という私の不得手な作業に対し始めから最後まで丁寧にご対応いただきました。お陰様で美しい本となりました。ありがとうございました。(銀河書籍さん、そのお名前も惹かれました^^)