pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

たんぽぽ句会第16回

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たんぽぽ句会第16回 2023,5,19


夫追いて電車は都内五月闇    淡雪

古きよりめぐる季節やカジカ笛  淡雪

命込め咲く花々の春うたげ    夏生

井の中の我にあらずや春の雲   夏生

一早く咲きしあじさいの純白   夏生

母の日や父母並ぶ古写真     陽清

ひた走る高速道や大夕焼     陽清

明易やラジオにながれ愛唱歌   陽清

手のひらに椀のぬくもり春の雨  巴琴

青嵐の山駆ける声聖母祭     巴琴

 


夫追いて電車は都内五月闇 

大変重い句です。
入院先で胃漏のまま寝たきりとなるところだったご主人を自宅介護に切り替えられた作者は、この半年で近隣を散歩できるまでに回復させ、経口食可能となり、胃漏を外す手前に来ておられます。我々も大いに勉強させてもらってます。
「夫が約束が有ると言い張るので結局池袋駅まで行ってきました。突然言い出すので疲れます」
ご自宅から駅まで歩く力は大変喜ばしいことですが、「時間空間の認識がときどきできなくなる」という状況の困難にも正面から誠実に向き合う作者。私の母が認知症を患ったときの父の対応ぶりを思い出しますが、「五月闇」の心の苦しさをくみ取りながら句会参加者みな鑑賞しました。


古きよりめぐる季節やカジカ笛

カジカの美しい鳴き声をカジカ笛と呼びますが、近年なかなか聞く機会はなくなっています。古きよりの想いを馳せながらの「カジカ笛」の音色です。年代の古層の上に立つ句です。大きいです。

 

命込め咲く花々の春うたげ 

今春の花々の姿はひと際盛大でした。庭も野原も「命」が花を通してあふれ出たようです。「うたげ」いいですね。命のうたげですね。そう観ずれば季節自体も命と観ずることが可能になりますね。大きい句です。

 

井の中の我にあらずや春の雲 

どうやら「世間知らず」という否定的文言に抗う作者。いやいや、誰しもが「井の中の蛙」です。しかし、それに気づくか否かが大事なのだと思います。気づけば頭上に広がる大いなる空に、しかも優し気な春の雲にも心を奪われる「大きな心」が井戸から飛び出すのでしょう。山村暮鳥の「雲」という詩も生まれるのでしょう。

 

一早く咲きしあじさいの純白

今年は花々の咲くのが早いですが、作者の庭のアジサイも早かったそうです。苗から育てて数年、初めて花をつけたそうで、その悦びが初句に込められていますね。そして純白の感動がそのまま体言止めで伝えられています。


母の日や父母並ぶ古写真

母の日も元は外来の文化でもたらされたものということらしいです。その欧米でも女権尊重は近年のこと。戦前に戻りたい日本のオッサン文化では逆に退行中。しかし、母の日につられて生まれた父の日などオマケにしか見えません。しかし、どうオッサンらが反動的に女性を抑え込んでも、アホですね、自分も母ありての自分ということさえ忘れてる。父の日なんてオマケという事も忘れて・・・救いようがない。
作者はご自分の父母への感謝をあらためて母の日に捧げていらっしゃいます。セピア色・・・紙の写真でなければ伝わらない古色の味わいの中に。そんな作者は一方でお子さんたちから感謝の標を贈られています。親子の愛情はそうして伝えられていきます。
私ですか?感謝というより「懺悔」一色です。 

 

ひた走る高速道や大夕焼 

この句も同じ作者。連休中もケアハウスに籠っている母を案じた息子さんが千葉の自宅に作者を招いたもの。なにせ古風な作者は自分から行きたいとは言えないので。百も承知の息子さん。この句はその息子さんの自宅から車で送ってもらったときの情景です。行くときは自力で、帰りは車で。息子さんも母親の体力を測っておられるのかな。そんな帰路、高速道に現れた「大夕焼」良いですね、大きな大きなスケールの夕焼け。世界を覆う。

 

明易やラジオにながれ愛唱歌

11時ころには就寝し3時ころに目覚める作者はラジオの深夜便をしばらくお聴きになるそうです。明易という言葉は不勉強の私は初めてききます。良い言葉ですね。夜明けが日増しに早くなるこの頃、そう急がないでという気持ちの言葉。もう少しゆっくりベッドに居てラジオから流れる愛唱歌を楽しんでいたい・・・春眠暁を覚えずの初夏バージョンかな。

 

手のひらに椀のぬくもり春の雨  

春の雨って優しく降りますよね、花冷えとか、まだ冷える季節。手のひらで汁椀を包む有難さ・・・

 

青嵐の山駆ける声聖母祭

聖母祭は五月の行事でミッション系の学園などでは盛大に催されるとか。「聖五月」という言葉と同じです。双方季語として扱われるそうですが、何でもかんでも季語としたがる風潮は好きではないので、あえて「青嵐」を出して「二重季語」扱いにしました。
青嵐を男性性に聖母祭を女性性に見立てたものです。今夏の青嵐の力強さはまた格別、轟轟と吹き渡りました。

 

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