新年あけましておめでとうございます。
と爽やかに申し上げたいところですが元旦早々能登がやられてしまいました。被害に遭われた方々には心よりお見舞いを申し上げます。本句会の皆さまも同様に心を痛めながら、句会にご参加いただきました。心を奮い立たせて本年も頑張って参りたいと存じます。宜しくお願い致します。
娘にと寿司残す夫小春の日 淡雪
ユズリハよまだまだ先よ栄養剤 淡雪
春の息流る白雲無常あり 夏生
餅つきや杵うつ音す母と父 夏生
麦を踏む母の足元霜柱 夏生
琴の音のながれ元朝祝膳 陽清
二すじの飛行機雲や初御空 陽清
玉砂利を踏みつ三代初詣 陽清
冬の旅聴きて夢さへ彷徨へり 巴琴
柊の花を散らすや目白飛ぶ 巴琴
鼠追ふ老描の背に枯葉かな 巴琴
娘にと寿司残す夫小春の日
介護俳句です(と勝手に呼ばせて頂いています)。夫の恢復ぶりが回を追うごとに伝わってきます。
小春という優しい語感に包まれた冬のあたたかな或る日、おそらく大晦日か元旦三が日か・・・娘さんの不在に気づいた夫の優しい気配りが、彼の恢復の一歩をも示しています。小春、ぴったりの表現。
あたたかな句。漢字で温かと呼ぶより、あたたか、と、ひらがなで。
ユズリハよまだまだ先よ栄養剤
前句同様の介護俳句。
ユズリハは若葉の成長を見届けて古い葉が散っていくという何とも天晴な植物ですが、作者はその葉にご自分を重ねて、私たちもまだ散るには早いわよ!と鼓舞してご夫婦で「栄養剤」!。ユーモラスもあり元気がもらえますね。
春の息流る白雲無常あり
見上げれば細く流れる白雲が素早く青空を流れていく。ああ春の息吹のようだと感じる間に消えてしまった。そんな雲の姿にも「無常」をしみじみと感じて佇む作者を見ます。春の息・・・素敵な表現ですね。「無常」という切なさをあたたかく包み込んでくれます。
餅つきや杵うつ音す母と父
ご両親への追慕の句。
今は町内会や施設でしかみなくなった餅つきも昔は各家庭で行われていまいた。今から思えば大変な労力と時間をかけて出来上がった餅は新年を神に捧げる大事なものであり、ご馳走としては子供にはわくわくするものでした。搗き立ての御餅の美味しかったこと。親御さんもそんな子どもの喜ぶ顔で報われたことでしょう。そして・・・このような句に表すことで作者もまた報われるのですね。
麦を踏む母の足元霜柱
同じ追慕の句。
これもまた現代では見られなくなった光景。元気な麦を育てるための、寒いなかの、かなりな労働でした。地域によっては霜柱が立ってしまっても必要な作業。作者の視線はお母さんの足元に。ザクザクと音を立てる霜柱は子どもが好きな遊びでもあります。ミレーの絵のような姿のお母さんへの追慕です。
琴の音のながれ元朝祝膳
今までは子どもさんらの自宅に帰り新年を迎えていらっしゃった作者が、ハウスで初めて経験した元朝の句。「琴の音」のように上中下と流れるようなリズムの美しい句です。
琴の音と祝膳が元朝の晴れやかで心躍る雰囲気を高めてくれます。御餅も出たそうですが事故の懸念から小さく切ったもの。自立者のハウスですがやはり心配なのですね。
二すじの飛行機雲や初御空
作者は夏生さんのように青空を仰いで並行する飛行機雲に見惚れました。初御空、すなわち元旦の空ですが、御、とは敬意で、空への敬意は仏教の由縁でしょう。美しい日本語ですね。さすが手練れの一句です。
玉砂利を踏みつ三代初詣
玉砂利ですでに浄い社を想起させます。三代にわたる大家族を率いての初詣はどれほどの慶びだったでしょうか。作者の俳句はみな格調高い感動を与えてくれます。
冬の旅聴きて夢さへ彷徨へり
寝ている時の夢ですかと質問を受けましたが、高校生でレコードで聴いて以来大好きなシューベルト「冬の旅」を聴きながらの冬の「夢」です。俳聖松尾芭蕉の「旅に病んで」もまた芭蕉の「夢」だったでしょう。
柊の花を散らすや目白飛ぶ
玄関の脇にある柊が、冬に黄色い見事な花を楽しませてくれます。目白は我が家の庭の常連さんで年中来てくれるので私の中では「無季語」となります。冬は他の花が少ないのでつがいで花柊目指してくるのです。房状の花びらをついばんでは花を落とすので、地面は長い間黄色に染まります。
鼠追ふ老描の背に枯葉かな
もう何年も鼠の姿を見ていなかったのですが先週から二度庭で見ました。我が家の猫モン太郎が鼠を捕虜にして遊んでいたのです。彼にはまたとない遊び相手です。今年最低17歳となる老いた猫で、去年も一昨年も病を得たのですが立ち直っています。枯葉は・・・私でもあります。
写真 雨どいに目白が花柊を、というか左下の相方を見ている図。仲良し。