pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想18

僕達を運ぶ舟は相変わらず無音の宇宙の闇を滑っている。

 

 なにか・・・懐かしい・・・はるか遠くに忘れてきたような大事な絵・・・懐かしいという感情が僕を虜にした。かつて暮らしていた惑星のドームの思い出よりずっと深い感情が。こんな感情が僕にあったんだ・・・気が付くとお父さんが横に座っている。

 

「お父さん 昔語りを聞いていたよ。かぐや姫がいざなって小侍従や彼女の恋人たちが話してくれるんだ・・・」

「そうか、かぐや姫は物語が生まれた時に現れた神だ。神は心に空に大地の岩や木々に、川のせせらぎやかまどにも現れたそうだ。かぐや姫は物語に宿った神なんだろうね。彼女は竹の中から生まれ時の最高権力者でさえ彼女を従わせることができずに、物語の終わりは月の世界に還っていった。月の世界とは当時の人々にとって真理に満ちた世界の暗喩だな。真理の前には天皇さえ無力だったのさ。そんな彼女は人々の心のなかに宿り続けた物語の神様だよ。」

 

「だから僕はその頃の世界を見ることができたんだ。じゃあ、二上山に現れた「美神」も本当はかぐや姫かもしれないね。」

 

「そうだな・・・二上山当麻寺・・・
そうだ、後の世に『死者の書』という物語が生まれたのだよ。折口信夫という人が書いたその中に中将姫が現れている。お前が観たという二上山に現れた美神とは、その『死者の書』では阿弥陀仏の来迎の姿だったが、阿弥陀仏かぐや姫も同じかもしれないね。中将姫はそのお姿にすっかり心を奪われてしまったのだが、それほどに美しいお姿というのはかぐや姫も同じだな。美と真理と善のお方だ」

 

お父さんはそう言って微笑んだ。
そうかもしれないと僕は思った。

 

 しかし、そうだとしたら・・・中将姫もまたかぐや姫かもしれない・・・ふと、思った。二上山の夢のあとにかぐや姫が現れて僕を小侍従という人の物語へといざなってくれたんだっけ・・・

 小侍従のお話をもっと聴きたいと言うと、お父さんは、じゃあもう一度目をつぶってお話の世界に戻りなさいと言って、手のひらを僕の目の前にかざしてくれた。舟の計測器は薔薇星雲の遠い光を前方に捉えてモニターに映し出していた。目をつむった僕の心にまたかぐや姫の囁きが蘇ってくる。

 

「さあ、これから厳島の思いでをお聞きください」
「あなたのお聞きになりたい小侍従のお話の舞台を厳島にしましょう。」


僕の脳は厳島を写しだした。
瀬戸内海に浮かぶ小さな島のひとつだった。
その島の歴史データが時系列で流れていった。

 

 厳島神が記録に初めて現れたのが弘仁二年(811年)となっているが、遥かに遡る原初の頃に、厳島主峰弥山の神霊を仰いだ人々が厳島神を崇敬したものである と伝えられている。弥生期の人々が島に残した土器のかわらけがそれを表している。それ以前、洋上より或いは海を隔てて畏敬し遥拝したものと推測される・・・
 やがて祭祀権を有する佐伯氏が現れ佐伯部の人々により祭祀が行われたが、書紀に蝦夷の俘虜を分置した地域が播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波五カ国の佐伯部の祖となったとある。東国と西国の人的な移動を物語る伝説である。

 やがて、天台・真言成立後の仏教弘通と共に神仏習合という宗教的・思想的に革命的な止揚が行われて、宗教間の争いを収斂していく。
その本地垂迹厳島社本地に於いては『平家納経』清盛願文にいう「相伝えて云う、当社は是れ観世音菩薩の化現なりと」「顕れて人となる、これを観音と謂う。本より迹を垂れ現じて神となる、これを当社と謂う。本迹異なるといえども利益これ同じ」
また建春門院厳島御幸願文に謂う。
「それ当社は内証を尋ぬれば即ち大日なり、日域の皇胤を祈るに便あり、外現を思えば亦貴女なり、女人の丹心に答うること疑いなし」と、大日如来として尊崇した・・・

 

 平安の末までの厳島をめぐる人々の姿が走馬灯のように僕の脳裏を駆け巡った。幾多の争いも、海人の祈りや涙も夥しく滝のように溢れ流れ落ちていった。海人舟も商人舟・唐舟も海賊船も、平家の軍船も瀬戸内の海を、厳島へ祈りを捧げながら漕いでいった。

 晴れ渡る春の日差しに眩しく照らされたなぎる海。
褐色の肌に汗を滴らせながら漕ぎゆく夥しい舟。
嵐の大波に翻弄されながら逃げ惑う軍船。
ひときわ美しく中点に輝く満月の光を浴びながら安らかに凪ぐ海・・・

 

 

 

写真 大原野勝持寺近辺