pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想20

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羅城門を無事過ぎて、そんな話の途中のこと。

遊びをせんとや生まれけむ 
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声きけば 
我が身さえこそ動(ゆる)がるれ

 この歌は・・・いやこれは今様の歌、いま都で流行りの今様・・・
私は、その美しい、清水のような若やいだ歌声に思わず車を停めてもらい、車の御簾を挙げていました。羅城門を過ぎて間もないところですが、辺りは家もまばらな寂しげなところです。

 一本の桜の古木の下に若い女とお囃子の者達がおりました。若い女・・・あれが白拍子と呼ばれている者なのでしょう、立烏帽子、白の水干、単、紅長袴に太刀を佩び、手に蝙蝠の扇を持ち、舞いながら歌っておりました。廻りには男ども女どもや子どもまで十数人、座り込んで手拍子を打つもの、白拍子の舞いにつられて踊りだすもの、雅仁親王、のちの後白河院の今様狂いは私どもの耳にも入っておりました。喉が枯れ声が出ないほどに歌い続けられたとか、今様の名手を宮中に招き入れたとか、様々な風聞が伝わってまいりました。
その今様が、今、目の前で歌い舞われていました。

 歌は万葉の時代から我が国では盛んに歌われていました。漢詩文は男のなすものとしながら、一方では和歌も男女詠み合っていたのです。今様は催馬楽や朗詠などに替わり、和讃の影響をうけて形となり、人々の間に盛んになったと聞き及んでおりました。和歌とはまた大きく趣を異にした歌であったのです。

 春のあたたかな風が白拍子の袂をふくらませたかと思うと花が一斉に舞い散りました。

祇王や」
 一人の老女が声をかけたのもその時でした。その声の主は祇王と呼ばれた白拍子の母でした。
「もうそろそろ休むがええ」
「あねさま、こちらへ」祇女と呼ばれた娘が招きます。

 彼女たちが草むらに腰を下ろすと見物人たちも散って行きました。私は言いようもなく祇王に惹きつけられました。歌っていた今様に思わず涙がこぼれそうになったのでした。私にも子が三人おりました。夫、中納言伊実もたいそうかわいがっておりましたが、祇王の歌の心にその頃の思い出が溢れてしまったのでした。

遊びをせんとや生まれけむ 
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声きけば 
我が身さえこそ動(ゆる)がるれ

 まことにそのように感じたのでございます。
遊びたいだけの子供たち、沢山遊びなさい。
いたずらを沢山なさい。
愛されることだけのために生まれてきたのですよ。

 伊実とともに子供らを見守った頃、私は育っていく子どもたちの姿に言い知れぬ幸いをおぼえて過ごしたものです。我が身さえこそゆるがるれ・・・普段、思い出すいとまも無く、長年の宮仕えに疲れ果てていた我が身が、この旅立ちの日に思いがけずそのような思い出に浸れるとは・・・子はかけがえのない宝であり喜びでした。その子らも既に、息子はお寺にお仕えし、娘も宮仕えの身となりましたが一人は病をえて亡くなりました。親の心とはまことにそのようなもの、誰しもが子を見て感じる心ばえは同じと、祇王の歌に感じ入ったのです。

 私は車を降り、祇王たちのところへ行きました。

「今の、お歌いになった歌、どなたのお歌ですか」
私は挨拶しながら尋ねました。

「いえ、今様のお歌に作者の知れたものなどありません。たしかに、どこかでどなたかがお作りになったものでしょうが、歌い継がれるうちにも歌は少しずつ変わっていくものです。私が覚えた歌は百数十ありますが、みなそのようなものでございます」

 祇王は妹の顔を見やりながらうつむき加減に申します。その声はいまにも消え入りそうです。ああ、そうだ、うっかりしておりました。私の後ろには当代の強者たちがそびえ立って並んでいたのですから。

「おお、そう怖がるではない。羅城門の鬼じゃぞ〜〜」

 頼政様配下の渡辺競様がニコニコと頬笑みながら、からかいなさる。祇王よりも妹の祇女のほうがうろたえ、さっと身を祇王の後ろに隠しましたが、競様を一目見るなり頬を朱に染てしまいました。なるほど、私も競様のお顔を初めてはしたなくも見てしまいましたが、その美しいお顔、武勇に似合わず優しげでもありました。

「弓矢取りては並敵もなく、心も剛に謀もいみじかりけるが、而も王城第一の美男なり」と謳われた方です。無理もありませぬ。

「これ、競、あまりからかうな。なあ祇王とやら。わしらもおぬしの歌と舞いに先程感じ入りもうした。ありがたや、世の乱れ、争いの尽きぬ世に、ひと時の安心を得た心地じゃ。歌に子を思う気持ちが溢れ、そなたの舞いもまるで母御のこころのごとく遊びに夢心地の幼子のごとく・・・いやはや、見事であった」

兼綱様が仰ること、私の思いと同じで驚きながら思わず涙したのです。

 


写真 勝持寺 
  西行が得度した寺であり西行桜が伝説として伝えられている。